理科についていくつか考えてみた。
これからは、たとえば朝日を見たら美しいと感動するんじゃなくて、「太陽。地球からの距離は地球の公転軌道が正円ではないために変化し、平均距離は約1億5000万km。地球の公転軌道に対し地軸が傾いているので日の出の時刻と日没の時刻は日々変化する。本日の日の出の時刻は午前5時53分。」なんて考えなければいけない、などということはないのだが、多少は理科的な考えを意識することにしよう。

自分が中学生だった頃、理科ってどんなことをやっていたっけ?
えーと、たしか第一分野と第二分野っていう分け方をしていた。第一分野はガスバーナーとかが出てきて、第二分野では動植物の分類とか、天気の話が出てきたんだった。Y先生がフラスコを使って蒸気を白く濁らせ、「これが雲の出来る原理です」なんて実験をみんなの前でやって見せたなあ。

実験といえばスチールウールを加熱する実験もやった。鉄を強く加熱すると酸素と結びついて重くなるという実験だ。あの当時、N君という同級生がスチールウールを見て、「これってTの頭みたいだなあ。」なんて言った。T君は天然パーマで、本当にスチールウールそっくりのモジャモジャな髪の毛をしていた。N君のその発言でクラス中が大爆笑し、その後T君はN君と口をきかないようになってしまったっけ。

続く。
異動のもう1つのマイナス面は、参考書の編集をさせてもらえるとはいっても大好きな数学ではなく、どうやら理科を担当することになりそうだということ。
理科。理科ねえ・・・。

もともと、異動先の部署は理科をやる人間が手薄だったらしい。異動先の上司(=編集長と呼ぶことにする)の考えではYYさんとK君に数学を任せ、僕には理科をやらせたいようだった。
編集長は「数学が出来るのなら理科も大丈夫でしょ?」と言った。うっ・・・、それって以前別の部署で、別の上司(=ボスことIさん)から「数学が得意ならパソコンに関する教材も作れるでしょう。理系なんだから。」って言われたのとまったく同じだ。

(註:僕は数学が「好き」なのであって、数学が「出来る」とか「得意」とかいう言い方はしないのだけれど。)

うーん、数学・理科・コンピュータって、それぞれちょっと違うと思うけど、まあいいか。うん、やってみようじゃないの。
「はい、理科でも大丈夫です。」

ということで、次回は理科について。
続く。
内示が出た後、異動先の部署で大活躍中の同期YYさんと少し話をした。YYさんの話によると、僕の座る席はもう決められているという。早い!
「まむ君は私とWさんの間。そこが1人分あいているの。」
ふむふむ、YYさんとWさんとの間ね・・・ってことは待てよ。それってコニと背中合わせに座るってことか。

しかし、YYさんとの話の後コニの部署で席替えがあり、結局背中合わせにならなかった・・・。ちょっとガッカリ。

さて、ここまでは異動のプラス面だけを書いてきたけれど、マイナス面も2つだけある。2つとも大したことではないのだが。

まず1つ。異動先の部署は異動前の部署と比べて業務量が多いということ。異動前の部署では定時の5時半に帰っても全然問題無かった。3階は全体的に残業が少ない(もちろん何人か忙しい人もいるけど)。僕の場合はまあまあ忙しい時期はあったにしても、それは数日しか続かずに早く帰れた。
一方、異動先の部署は逆で、業務量が多い。残業や休日出勤が当たり前のようになっている。

しかし、これは自分にとっては大きな問題ではない。なぜなら僕は早く家に帰ってもそれほどメリットが無いからだ。
たとえば、家族との時間を大事にしたい人や、体調に不安がある人、あるいは趣味や勉強に時間をついやしたい人には長時間労働をさせてはいけないと思うけれど、自分は参考書の編集をさせてもらえるのならば多少の残業は問題ない。

次回はもう1つのマイナス面について。
社内に内示のメールが流れてから、僕の「異動したい願望」を知っている何人かが僕のところに来て、祝福してくれた。まるでタイミングを計ったかのように親分のいないときに。
「よかったですね。」と言ってくれた人。
黙って肩を叩いてくれた人。
わざわざ5階から来てくれた人。
異動先の部署で何か困難があったら、祝福してくれた人たちのことを思い出して頑張ろう。そう思った。

異動の内示が出てから新たな業務を始めるまで、10日間ほど引継ぎ期間があった。その期間中、ある人に誘われてお酒をご馳走になる機会があった。
この飲みの席では僕はひたすら上機嫌で、「お前は気楽でいいな。」と少しあきれられた。
「えー、でも聞いてくださいよ。これから同期3人が一緒に仕事するじゃないですか。人から聞いたんですけど、うちら3人、『数学3バカトリオ』って呼ばれてるらしいんですよ。ひどいですよねー。」
本当は別にひどいなんて思っていないのでニコニコしながらそう言うと、「あ、それ言い出したの俺。」と言われた。
なにーー!?
一瞬ビックリして、すぐに大笑い。

続く。
異動の内示をMさんからもらって数分後、社内でメールが流れた。誰がどの部署に配属されるのかが書かれた一覧である。
僕の異動先は前回の日記に書いたように小学生・中学生用の参考書を作る部署で、ここにはYYさんがいる。YYさんも同期で、つまりK君・YYさん・僕、同期3人が同じ部署で働くことになる。ちなみにYYさんも数学専攻だ。

配属のメールが流れた後、親分の席まで挨拶をしにいった。異動の知らせは嬉しかったけれども、親分と話すときばかりはこの部署での仕事がいろいろと思い出され、さすがにちょっと神妙な気持ちになった。
「この1年間、あまりお役に立てなくてすみませんでした。」と言うと、親分は場所を変えようと言い出し、2人して空き部屋に入った。
親分は椅子にドッカと腰を下ろし、僕は親分と向かい合わせになるようにチョコンと座る。親分はおもむろに口を開き、「まむ・・・、さっきの笑顔を見たら俺、何も言えねえよ。」と言った。
えーーっ!?さっきの笑顔は正面にいた人にしか見えないだろうと思ったのに。

親分は僕の様子を横から見ていたそうで、それを聞いた僕はものすごく動揺した。でも、異動による晴れ晴れとした気持ちも、親分に対して申し訳ないという気持ちも、どちらも正直な気持ちだ。

親分とその話をした10日後、親分の自宅で送別会をしてもらった。そのとき親分は「まむはあんな笑顔をするんだもんな。そんなに異動したがってたやつの希望を通してやるなんて、うちはいい会社だと思ったよ。」と言った。
それを聞いて親分の温かみが痛いほどに伝わってきた。そういう発言は時間をかけて考えを重ね、葛藤を割り切った後でないと出てこないと思う。
親分・・・。

続く。
それは、四国旅行を終え、出社を再開して2日目のことだった。席で仕事をしていると、FSさんが僕のところへやってきた。

役員室でMさんが呼んでいるという。おおお、この日、このタイミングで呼ばれるということは・・・、異動の内示か!?
ドキドキしながら役員室に行くと、Mさんが椅子に座って待っていた。
「まむ君、異動です。希望が通って、編集部です。」
うおお、よっしゃーーーーー!
今まで3階で検定試験に関する仕事をしていたのだが、10月からは2階で小学生・中学生向けの参考書を作る仕事をするのだ。

このとき、Mさんは前に書類を置いて、それを見ながら話していた。それは10月に異動する人たちの一覧のようだった。
その書類は、まず部署名が書いてあり、その下に異動者の名前が書いてあった。たまたまそれが僕の目にも入り、僕の名前の1行下に同期のK君の名前を見つけた。
ん・・・、ってことは、K君も僕と同じ部署に異動!?おおお、面白くなりそうだ。

親分を始め、今の部署の人の前では喜ぶ様子をあまり見せないほうがいいだろうと思ったけれど、こみ上げる喜びは隠しようがない。
役員室を出ると、向こうからFSさんが歩いてくるのが見えた。FSさんに対しては喜びを隠す必要が無い、というか喜びを伝えたいくらい。なので、思わず会心の笑みを浮かべてしまった。もしも世の中にニッコリ選手権とかいう大会があればいいセンいくのではないかというくらい、晴れやかな気持ちでニッコリした。
その笑顔を横から親分が見ているなんて露ほども思わずに・・・。

続く。

四国旅行(最後)

2005年10月17日 旅行
今日は四国旅行の番外編です。書きそびれたことを箇条書き形式で補足。

・徳島でバスに乗ったときに気付いたのだけれど、「野」というバス停がある。漢字で書いても声に出しても一文字。の。の。の。

・国道11号線と、鉄道の高徳線(高松−徳島)はずーっと平行だ。家一軒分を挟んで平行で、交わることがない。ずっとそばにいるのにどこまでいっても交わらないって、せつないね。

・今回の旅行で、「サヌカイト」の由来が「讃岐国」から来ていると知った。

・金比羅様にお参りしたとき、石段を登る途中の旅館で「和歌山大学バドミントン部合宿」という札を目にした。あの石段を昇り降りして足腰を鍛えれば強くなりそう。

・四国で電車に乗ると、旧国名を付けた駅名が多いことに気付く。「讃岐ナントカ駅」とか「土佐ナントカ駅」とか。

・四万十川で、方言と標準語を使い分けるおばちゃんから解説を聞いたと書いたけれど、話の内容について詳しく書かなかった。
その話の内容は、漁師はペットボトルを浮きにしているとか、その漁師は1500人もいるとか、四万十川の名前の由来は支流が40000本もあるから、とか、そんな話だった。じゃあ四万十の十は何?

・足摺岬へ行くとき、僕の乗ったバスは山道の途中で停まってしまった。道が細くて車がすれ違い出来るポイントが限られていて、そこで対向のバス待ちになってしまったのだ。
でも対向のバス、全然来ない・・・。
岬ー めぐりのぉー バスはー 停まる。

・何年か前に「坊っちゃん」を読んだ。「ぞなもし」という方言が印象的だった。でも、実際に松山に行ってみると誰もぞなもしなんて言わなかった。もう死語なんだろうか。

・松山の文教地区を歩いたとき、「なおる歯科」という歯医者を発見。なおる歯科って、いかにも医者っぽくていい。名前をつけた時点で作戦勝ちだ。

・何回かバスに乗ったけど、長距離を移動するバスは途中で運転手が交代することがある。交代時には必ず運転手が客席を向いて挨拶をする。「運転手がだれそれからだれそれに代わります」と言う。降りる運転手さんは「ありがとうございました。」と言い、乗ってきた運転手さんは「よろしくお願いします。」と言う。それを見て清々しい気持ちになった。
これは四国だけなんだろうか、それとも全国的にそうなんだろうか。群馬でも東京でもバスには滅多に乗らないからよく分からないけど、いいことだと思う。

・感想を丁寧に書くと長くなりそうだと思ってあえて行動記録を中心にしたのに、それでも3週間も書き続けてしまった。最後のほうはだれてしまって、全然メリハリのない文章になった。ちょいと反省。

松山(4)

2005年10月16日 旅行
朝風呂を浴びてお茶をこぼした後は、旅館に戻り朝食を食べてチェックアウト。

石手寺を見て、次に坊っちゃん電車に乗った。
その後、子規堂、二の丸公園の順に回ったが、それでもまだ飛行機の離陸時間まで時間があるので、地図を見て松山城の北側を散歩することにした。
松山城の北側は文教地区とでも言うのだろうか、小学校から大学まで、学校が7つも集まっている。こういうところを歩くと、教育についての意欲が自然と湧いてくる。

学校の校舎が立ち並ぶところを縫うように歩きながら、今の自分の仕事について本気で考えた。僕は今テストの進行管理や営業をしているが、たとえばこの松山の学校に通う生徒たちがこのテストを受けたとしたらどんな感想を持つだろうか。
旅行から戻るとすぐに大幸運な異動の辞令が出るなんて思いもよらずに、そんなことを考えた。


3週間に渡って書き続けてきた四国旅行の話を終えて、次は異動の話(これまた何日かに分けて続く)になるのだけれど、最後にもう1回だけ四国旅行編、続く。

松山(3)

2005年10月15日 旅行
23日。
この旅行の最終日。朝早くに起きて、朝風呂を浴びに道後温泉本館へ行った。

松山は夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台だから、あちこちで坊っちゃん関連のものが目につく。たとえばお店に入ると、マドンナという商品があったり、市内を坊っちゃん電車が走っていたり。
乗りたいなあ、坊っちゃん電車・・・などと考えるうちに本館に到着。

入浴料金を払い、2階へ上がった。脱衣所で服を脱ぎ、お風呂へ入る。すると、お湯がやたら熱い。あまり長湯出来ずに上がってしまった。
本館の中を見てまわり、天皇しか入れない風呂を案内してもらったりして大広間に戻った。

大広間で少し待つと、お茶とお菓子が運ばれてきた。サービス満点だ。お茶の入っている湯飲みにはふたがしてある。
畳に座って窓から外を眺め、ゆっくりとお茶をすすれば極楽極楽・・・になるはずだったのに、あれ、おかしい。お茶のふたが全然開かない。ふたが湯飲みにピッタリとくっついている。むむむむむ・・・と力を込めると、ふたが開いた、と同時に湯飲みの中のお茶を思いっきりこぼしてしまった。うわあ、ごめんなさい。
慌てて雑巾を持って駆け寄ってくる道後温泉本館の人たち。

夏目漱石は坊っちゃんという類まれなるメイサクを書いた。
不肖まむはボチャンと音を立ててお茶をこぼしメイワクをかけた。トホホ。

松山(2)

2005年10月14日 旅行
道後温泉は3000年の歴史を誇る。道後温泉の中心的な建物は道後温泉本館といい、そこは国の重要文化財に指定されている。道後温泉本館の周りは旅館やホテルが林立していて、そこは本館からお湯を引いている。なので、本館以外の建物でも温泉に入れるが、やっぱり本館でも温泉に入りたい。

道後温泉に着いた日は本館に行かず、旅館のほうの温泉を楽しんだ。足摺岬の温泉と同様に、このときも平日の昼間だったので風呂には僕しかいない。長湯をして部屋へ戻った。
部屋の窓から外を眺め、ふと、この時間に働いているであろう同僚の人たちの顔を思い浮かべた。
自分がここでこうしてのんびり出来るのは、同僚が職務をまっとうしているからだし、また、この旅館で働く人のお陰でもあるし、さらに、そういった人たちのために働く人がいるわけで・・・、とさまざまな人に感謝の気持ちが湧いてきた。うまく言えないが、人と人との連鎖とか影響とか、どこかで誰かと何らかの形でつながっているということを実感した。

物思いにふけった後、旅館の下駄を借りて外に出た。松山市立子規記念館を見たり道後公園を歩いたりした。
道後麦酒館という居酒屋に立ち寄りビールを堪能した後、ほろ酔い加減で旅館に帰った。

履きなれない下駄を履いたせいで、足の親指と人差し指の間が痛くなった。
「旅は道連れ、世は情け」というけれど、現実は「旅は靴擦れ、夜はお酒」なのであった。

松山(1)

2005年10月13日 旅行
22日。宇和島で特急宇和海に乗り、松山で下車。松山はこの四国旅行の最後の目的地だ。長かった旅行も終わりが近付いている。

松山。四国最大の都市。道後温泉や松山城など見所がたくさんある。また、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台になったり正岡子規の生まれ故郷であったりと、文学にゆかりがある土地柄だ。

まずは銀天街へと行った。
松山には銀天街と大街道という2つの大きなアーケード街があり、この2つは直交している。銀天街でお菓子を買い、送る手配をした後、大街道のすし丸でお昼御飯を食べた。

この日のお昼御飯のメニューはタイの釜飯。タイの身は釜で熱を加えると真っ白になる。その真っ白な身を箸で少し触れるとホロリとほぐれる。そのほぐれたタイと御飯に油揚げを絡め、パクパクと食べる。うまい。お米の一粒すら残さず全部食べた。

その後、萬翠荘、愚陀仏庵、松山城を見物。
松山城は山の上にあり、リフトかゴンドラに乗って上まで行けるようになっている。リフトに乗って運ばれる途中、スキー場を連想してしまった。今年の冬は久しぶりにスキー場に行こうかな。

天守閣の近くへ行ってみると、改修中で見栄えがあまりよくなかった。城の周りに足場を組んでいて、城の自然な姿が見られない。足場が無ければ美しいのに。

城の中では外国人観光客が写真をバチバチと撮りまくっていた。その人の邪魔にならないように気をつけて城内を見物したけれども、その外国人観光客は僕と同じペースで移動した。しかたがないので僕は行く先々でカメラのフラッシュからヒラリヒラリと身をかわす。まるでゲームをしているみたい。

続く。

宇和島

2005年10月12日 旅行
宿毛でバスを乗り換え、21日午後、宇和島着。

宇和島城と城山郷土館を見た。
郷土館は少し小さめで、展示品はあまり充実していなかったけれど、解説をしてくれた人が少し毒舌気味で面白かった。たとえば、殿様はやることが無いから字がうまくなる、とかそういうことを皮肉交じりに言っていた。

宇和島ではあちこちで真珠の店を見かける。何か理由があるのか気になったので調べてみると、宇和海で真珠の養殖を行っているということが分かった。
宇和島に何軒もある真珠屋の中で、僕はダイマサ真珠が気に入った。ダイマサ真珠はお店の前にスピーカを置き、Gontitiの曲を流していたのだ。そういうお店は応援したくなる。
ということで、宇和島で真珠を買うときはダイマサ真珠、ダイマサ真珠、ダイマサ真珠をよろしく。
http://www.daimasa.jp/

ダイマサ真珠の何軒か隣の、寺小屋グループも気になった。なんで寺小屋なんて書くんだろう?
言うまでもないことだけれど「寺小屋」は「寺子屋」と書くのが正しい。それなのにこんなふうに書くのには何か意味があるんだろうか。
寺小屋グループは塾のようだ。寺小屋という表記が正しいと思い込む生徒が増えてしまったらまずいんじゃないかな。
http://www.terakoyagroup.com/

21日は宇和島泊。

足摺岬〜中村

2005年10月10日 旅行
21日。
この日は足摺岬から宇和島へ移動する予定だった。交通の便はあまりよくなく、バスで足摺岬→中村→宿毛→宇和島と移動する。

バスの待合所でバスが来るのを待っていると、知らない女性が話しかけてきた。年齢は50代くらいか。
「バスが来る前に辺りの写真をちょっと撮りたいので、その間、荷物を見張っていてください。」と言われた。えっ、見ず知らずの僕を信用して荷物を預けるの?と思いながらも、「はい、いいですよ。」と答えた。

数分後。戻ってきたその女性と一緒にバスに乗り込み、中村に着くまでたくさん話をした。どんな話をしたかというと、
そのかたは僕とまったく逆のルートで四国を回るということ。
いつもは東京で生活していて、半導体を作る機械を管理する仕事をしていること。
仕事の関係でドイツやイタリアに長期出張した経験があること。
あと数年で定年になり、今は出張は若い人に任せていること。

ドイツ人は日本人と比較して仕事の時間が短いそうだ。そのかたがドイツに着いてまず工場を視察すると、案内役のドイツ人は2人で、途中で交代して工場の案内をしてくれたという。1人で案内すると勤務時間が長くなってしまうからだ。
また、ドイツは消費税率が高い、なんていう話も聞けた。でもそれは日本に比べて高いということであって、ヨーロッパ諸国の中ではドイツはむしろ低めだ。ヨーロッパは全体的に消費税率が高い。

そのかたは国内旅行の経験も豊富だった。もっといろいろ話を聞きたくて、連絡先を交換しようかと思ったが、言い出せないまま中村に到着。「お気をつけて。」と言って別れた。そのかたは電車に乗り換えて高知へ。僕はそのバスに乗ったまま宿毛へ。

まむ、四国の南端でドイツ事情を知る。旅とはなかなかに不思議なものなのであった。

足摺岬

2005年10月9日 旅行
足摺岬
20日、午後。四国の最南端、足摺岬に到着。
ホテルに荷物を置き、ホテルの1階にある温泉に入った。平日の午後3時頃という時間のせいか、人がいなくて、風呂の利用者は僕しかいなかった。浴槽で思い切り手足を伸ばした。

風呂から上がり、ロビィで高知新聞を読むと、スポーツ面で高知ファイティングドッグスの試合が大きめに扱われていた。このように、地元をひいきした記事を読むのはなぜか楽しい。高知ファイティングドッグスは現在、四国アイランドリーグの首位に立っているそうである。

一息ついたところで外に出て、散歩した。
海沿いの遊歩道を歩き、景色を楽しんだ。画像は白山洞門から見た太平洋。

足摺岬には金剛福寺というお寺がある。金剛福寺は四国霊場八十八ヶ所の1つ。僕は宗教には全然興味が無いが、お寺の雰囲気は好きだ。
金剛福寺ではお遍路姿の人をたくさん見かけた。

ホテルに戻り、パンフレット類の整理をしたり、再度風呂に入ったり、外を眺めたりして過ごした。泊まった部屋は5階で、南向き。太平洋が一望出来た。
布団を敷いてもらった後、横になり、自分のやっている旅行はなんだか修学旅行っぽいなあと思った。博物館が好きだったりお寺に行ってみたり。
そういえば、修学旅行の前、バナナがおやつに入るかどうか気になったのはなぜなんだろう?
そんなことを考えながら就寝。

四万十(3)

2005年10月8日 旅行
四万十(3)
20日。
この日の大まかな予定は、お昼に地元の食堂で海苔の天ぷらを食べて、午後は足摺岬へ移動しようという、それだけだった。お目当ての料理屋さんが開く午前11時まで何をしようか・・・と考えて、ちょいと四万十市内を散策してみた。探検探検、四万十市。

意外な発見があって面白かった。
幸徳秋水の墓を見たり、四万十川のほとりで百笑堤防というのを見つけ、百笑と書いてドウメキと読むことを知ってびっくりしたりした。

時間はまだたっぷりある。ふと思い立ち、四万十市立図書館へ行ってみた。市立図書館ではその地方の史書が充実していることがあり、意外と郷土色が豊かだという話を何かで読んだことがあった。
行ってみると、なるほど、土佐の史書がずらりと並んでいて壮観だった。

そういえば、この図書館では司書と利用者の会話が面白かった。利用者が何か問い合わせをしていて、司書がそれに答えていわく、「それはわからんがですけんど。」だそうだ。
このように方言に触れるのは楽しい。

11時になるのと同時に、料理処「しばてん」へ。ここでようやく海苔の天ぷらが食べられた。
海苔の天ぷらはスナック菓子のような食感だ。ほう、こういう料理もあるのか。面白い。

食事を終えて、足摺岬へ移動するべくバスに乗った。
頭の中で山本コータローの岬めぐりを思い浮かべる。父親がこの曲を好きで何度も聞くので、僕も覚えた。
岬ー めぐりのぉー バスはー 走るぅー♪

続く。

四万十(2)

2005年10月6日 旅行
舟を降りて、昼食タイム。
食堂に入ってメニューを見て、海苔の天ぷらうどんを頼むことにした。「四万十川近辺では海苔の天ぷらがおいしい」という情報をK段さんから事前にもらっていたのだ。
うどんが出てくるのを楽しみにして待つと・・・、何これ?うどんの上にエビの天ぷらが乗っていて、あとは海苔が浮かべてある。海苔はごく普通で、天ぷらになっていない。これ、海苔の天ぷらうどんというより海苔「と」天ぷらうどんじゃないか。ガッカリ。
はぁ・・・。海苔の天ぷらについては事前に別の料理屋を調べておいたから、後でそっちで食べよう。

ガッカリうどん(?)を食べた後、四万十川学遊館へ行った。ここはトンボと魚を展示した施設だ。一応全部の展示を見てみたのだけれど、正直言ってちょっと気持ち悪くなってしまった。トンボも魚も、よく見るとグロテスクだ。
しかし、ここは他の博物館にはない工夫があり、そこだけはよかった。展示物が部屋ごとに区切られていたのだが、各部屋の出口の横にポイントがまとめられていたのだ。「トンボとヤンマの違いが分かりましたか?」というように。
ここで学んだことは記憶に残りやすそうだ。参考書の章末問題と同じ仕掛けだ。
http://www.gakuyukan.com/gakuyu/index.html

四万十(1)

2005年10月5日 旅行
19日。高知まではわりと急ぎ足で移動したけれども、高知以降は急にのんびりした足取りになる。

前日は食べ過ぎてしまったが、この日も爽やかに目覚めた。胃もたれなどは全然無い。
この日は特に天気がよくて、起きてしばらくのあいだ朝日を眺めた。朝日を眺めるなんて何年ぶりだろう?そして、朝日の美しさに感動したのはいつ以来だろう?

好きになった町高知に別れを告げ、高知駅で特急しまんとに乗った。10時ちょうどに中村駅で下車。
中村駅からはタクシィで佐田の沈下橋へ。

沈下橋については「沈下橋 欄干」で検索すると分かりやすいページがたくさんヒットするので、ここで説明する必要は無いのかもしれないけれど、以下、一応説明。
沈下橋とは欄干が無い橋のことを言う。
四万十川が増水すると、川にかかった橋は水に沈む。このとき、欄干があると流木が欄干に引っかかったり、あるいは欄干が水の勢いをまともに受けたりして、橋が崩れる原因となってしまう。それをあらかじめ防ぐために欄干が無い。
沈下橋は四万十名物の1つ。歩いて渡ると川に落ちてしまいそうな錯覚におそわれ、ちょっと不安な気持ちになる。

佐田の沈下橋の近くで小さな舟に乗った。その、舟を操るおばちゃんが面白かった。
舟が岸を離れる前は、方言で清掃係に文句を言っていたのに、観光客には標準語で話すのだ。
清掃係には「かちかち山の狸じゃないんだからこんな泥の舟には乗れない。操縦席もきれいにしろ。」と嫌味を言っていたみたいで、僕はそこだけ聞き取れた。それ以外の細かいところはまったく分からない。
しかし舟が動き始めると、おばちゃんは一転して標準語で四万十川の話を始めた。その変わりっぷりはちょっと笑えた。

川は透明で、舟から水面を見ると、浅いところでは川底が見える。岸のほうに目をやれば草が茂り、さらにその向こうに丘がいくつか見える。
岸に茂っている植物はほとんどが菜の花だそうで、菜の花の咲く季節にもう1度来たいと思った。
舟は川面をすべるように進む・・・。

高知(3)

2005年10月4日 旅行
今回は、高知のグルメ以外編。

日曜市でレモン水を堪能した後、高知城を見物した。やっぱりお城は落ち着く。
高知城の売店で、アイスクリンという看板を見かけた。ほー、高知ではアイスクリームのことをアイスクリンというのだろうか。この時点ではそう思った。

高知城を歩いた後、桂浜まで足を伸ばすことにした。はりまや橋の南でバスに乗る。
桂浜は月の名所だ。夜に来ればちょうど中秋の名月が見られたかもしれない。
桂浜で坂本龍馬記念館を見た後、波の音を聞きながら浜辺を歩いた。

坂本龍馬記念館のウェブページは下記
http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/framepage.htm

この日も天気がよく、歩くうちに汗だくになった。暑いー、暑いー、冷たいものが何か欲しい。そこへちょうどタイミングよく、アイスクリンの屋台を発見!高知ではあちこちでアイスクリン屋を見かける。
アイスクリンを買って食べると・・・それはアイスクリームとちょっと違い、シャーベットのような舌触りだった。アイスクリンとアイスクリームは別物だ。

そういえばアイスクリン屋の看板に、「こじゃんとうまい!」と書かれていて、意味がよく分からなかった。後で調べたところによると、こじゃんとにはいろいろ意味があり、とっても・きちんと・精一杯、などの意味らしいけど、しかしそのどれもが微妙に違うらしい。難しいね。

高知市街へ戻り、本池澤で遅めの昼食。昼食後は土佐山内家宝物資料館を見物。
http://www10.ocn.ne.jp/~yamauchi/

この日、高知では音楽祭が行われていた。何箇所か会場を設けて、バンドが演奏していた。それを見て、僕もノリノリで手拍子をした。
http://www.kc-lalala.com/
この音楽祭の参加者はみんなそろいのTシャツを着ていた。緑色で目立つ。
そのTシャツを着た人たちは辺りのゴミ拾いをしていた。偉い!
それを見てすがすがしい気持ちになった。

高知(2)

2005年10月3日 旅行
18日。日曜日。
唐突だが、僕は「たらふく」という言葉が好きだ。この「たらふく」の前に、「うまいものを」が付けばもう最高。うまいものをたらふく。うまいものをたらふく。それは僕を幸せにする魔法の言葉。
高知ではうまいものをたらふく食べた。ということで、今回は高知のグルメ編。

浪漫亭でうまいものをたらふく食べた翌朝、日曜市でうまいものをたらふく食べた。高知では毎週日曜日、追手門通りにズラリと店が並ぶのだ。すっげー。

お店が並ぶ通りを見て呆然と立ちすくみ、うーむ、効率よく歩くにはどうすべきか・・・と考えた結果、まず店の並んだ通りを端から端まで歩いて品定めをして、終わりまで行ったら引き返して少しずつ買い物をしようという作戦に出た。名付けて、「往路はケンブツ、復路はホンバン大作戦」である。

日曜市では、焼き鳥を売る店あり、木工細工を売る店あり、サバの姿寿司を売る店あり、そしてさりげなく佐川急便の出張所あり。日曜市で買ったものを宅配便で送れるのだ。んもう、佐川さんったら商売上手。

うなぎの焼いたのを食べて、次にサバの姿寿司を食べた。満腹、満腹。そのまま突き当たりの高知城を見学しよう・・・と思ったら、見知らぬ女の子が「レモン水おいしーーい!」と叫んでいた。それを見て、僕も勢いでレモン水を買っちゃった。ゴクリと飲んで一言・・・、うん、おいしーーい!

日曜市に行った後に何をしたかはちょっとおいといて、昼御飯と晩御飯の話。
昼御飯は本池澤で食べた。メニューが豊富であれこれ目移りした末、牛タタキ丼を注文した。
お肉も、それにつけるタレもおいしい。

食べるものすべてがおいしくて他ももっと食べたいのだが、お腹がなかなかすかない。お腹よ、早くすきなさい、と思って自分のへそあたりを見てみるが、それでお腹がすくわけでもない。
夜になり、お腹がすくのを待ってひろめ市場に直行。

ひろめ市場はいくつかのお店が集まった複合施設で、イベント用のスペースなどもある。行ってみると活気と喧騒がすごくて、盛り上がっていた。
ここで食べたのはクジラの刺身・カニクリームコロッケ・クジラの竜田揚げ、そしてラーメン。
久しぶりに食べたべたクジラはおいしかったし、ラーメンもうまかった。ラーメンはカツオのだしが効いていた。

高知ではうまいものをたらふく食べた。

高知(1)

2005年10月1日 旅行
17日の夜、高知に到着。
高知の地図を見て思ったのは、はりまや橋と高知駅と高知城の位置関係を頭に入れておいて、それに対して自分がどこにいるかを考えながら歩くと分かりやすそう、ということ。
高知に着いてホテルにチェックインし、荷物を置き、夜の高知へと繰り出した。目指すは浪漫亭という居酒屋。

浪漫亭に入ってみると、そこは明るくてきれいで、雰囲気がよかった。まむ、28歳にして初めて1人で居酒屋に入る。
高知というとカツオがおいしいというイメージがあったので、まずカツオの刺身を頼んでみた。
早速食べてみると・・・うまい!東京で食べるものと比べて厚く切ってあり、そして、食べると身が引き締まっている。密度が濃い感じ。
注文したのはカツオの刺身のほか、アナゴの天ぷら、カニのチーズ巻き、生ウニの吉野揚げ。生ウニの吉野揚げはメニューを見て、生なのか揚げ物なのか気になって頼んでみた。店員さんに「これは生ですか、揚げ物ですか?」と聞いてみると「揚げ物です。」という答えだったのだけれど、要するに、周りは揚げてあって、噛むと中は生だ。これもおいしかった。

1人で居酒屋に入るとすぐにお腹がいっぱいになってしまい、あまり料理を頼めない。満腹になった僕は満足して浪漫亭を後にした。

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