靴屋にて
2005年11月28日今日は新しい靴を履いて出社した。
僕はシンプルなものが好きだ。いつもなら会社用の靴は黒一色で、なるべく飾り気のないものを履いていたのだが、今日のは違う。
まず、色が茶色だ。そして紐が付いている。いつもなら紐は無い。
さらに、よく分からない穴が何箇所も開いている。
うわー、この靴、自分らしくないことこの上ない。でも、似合わなくはない(と思う、多分)。いつもと違うものを履いてみたかったので、これでいい。
その靴は昨日買った。
靴屋の棚でそのタイプを見つけ、その26.5cmを持ってきてほしいと店員さんに頼んだ。すると店員さんは僕の足を見て、「6.5じゃ大きすぎるんじゃないの?」と言った。馴れ馴れしい口調だった。
店員さんは奥へ引っ込み、26.5cmと26cmを持ってきた。26.5のほうを履いてみるとブカブカで、次に26を履いてみるとピッタリ。
「ほら、言ったとおりでしょ?」
店員さん、得意気だ。
やっぱりプロは違うなあ。そういえば、靴屋さんはどんな靴を履いているんだろう?そう思って店員さんの足元を見てみた。
店員さんの靴はよく手入れされた革靴だった。ピカピカに磨かれている。新品というわけではなさそうだが、少々使い込まれたくらいが味があっていい。
一方そのとき僕が履いていた靴は灰色一色で、少し土がついて汚れていた。ううっ、なんだか恥ずかしい。やっぱりちゃんとした靴を履いたりして、この店員さんみたいに足元にも気を使うか。靴の知識も増やしたほうがよさそうだ。
店員さんはそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、靴を光らせて立っている。僕とは雲泥の差だ。
僕は文字通り店員さんの足元に及ばないのであった。
僕はシンプルなものが好きだ。いつもなら会社用の靴は黒一色で、なるべく飾り気のないものを履いていたのだが、今日のは違う。
まず、色が茶色だ。そして紐が付いている。いつもなら紐は無い。
さらに、よく分からない穴が何箇所も開いている。
うわー、この靴、自分らしくないことこの上ない。でも、似合わなくはない(と思う、多分)。いつもと違うものを履いてみたかったので、これでいい。
その靴は昨日買った。
靴屋の棚でそのタイプを見つけ、その26.5cmを持ってきてほしいと店員さんに頼んだ。すると店員さんは僕の足を見て、「6.5じゃ大きすぎるんじゃないの?」と言った。馴れ馴れしい口調だった。
店員さんは奥へ引っ込み、26.5cmと26cmを持ってきた。26.5のほうを履いてみるとブカブカで、次に26を履いてみるとピッタリ。
「ほら、言ったとおりでしょ?」
店員さん、得意気だ。
やっぱりプロは違うなあ。そういえば、靴屋さんはどんな靴を履いているんだろう?そう思って店員さんの足元を見てみた。
店員さんの靴はよく手入れされた革靴だった。ピカピカに磨かれている。新品というわけではなさそうだが、少々使い込まれたくらいが味があっていい。
一方そのとき僕が履いていた靴は灰色一色で、少し土がついて汚れていた。ううっ、なんだか恥ずかしい。やっぱりちゃんとした靴を履いたりして、この店員さんみたいに足元にも気を使うか。靴の知識も増やしたほうがよさそうだ。
店員さんはそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、靴を光らせて立っている。僕とは雲泥の差だ。
僕は文字通り店員さんの足元に及ばないのであった。
六義園
2005年11月26日
六義園(りくぎえん)に行った。六義園については下記のアドレス参照(3つ前の日記で貼ったアドレスと同じです)。
http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=72
駒込駅で電車を降り、ちょっと歩くと目の前に六義園の入り口が見える。
六義園に入る前に、アイスクリーム屋でアイスを買った。サーティワンのティーオーレ、うまい。
アイスを食べながら六義園の入り口へ行き、入園料を払った。
左手でアイスを持ちながらお金を払うのは非常に難しい。右手で財布を出し、右手だけでお金を渡してお釣りを受け取る。そしてそれを右手だけでしまい、ポケットに財布を戻す。
そんな苦労をして園内へ入ると、思ったほど真っ赤になっていなかった。六義園は紅葉の名所だけれども、六義園の植物すべてが紅葉するわけではなくて、緑のままの植物もたくさんある。
そういえば、僕が知っている紅葉する植物といえばモミジとイチョウだけだ・・・って、それでいいのか理科担当。
(僕の勤務先を知っている友人への註:
弊社の教材はちゃんと専門知識のあるプロが作っていて、しっかりした内容になっています。誤解なきよう。)
六義園の中は混み合っていた。見た感じ、年配のご夫婦が多かった。そんな人たちが歩く流れに合わせて僕も園内を歩いた。
真っ赤なモミジを見て、「僕のハートも真っ赤に燃えているぜ、ベイビィ。」とか「モミジがきれいだけどあなたもきれいだね、ハニィ。」とか言いたかったけれど自分はそんなキャラじゃないし、そもそも1人でここに来ている。黙ってモミジを観賞した。
2時間ほど園内を歩き、辞去。
http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=72
駒込駅で電車を降り、ちょっと歩くと目の前に六義園の入り口が見える。
六義園に入る前に、アイスクリーム屋でアイスを買った。サーティワンのティーオーレ、うまい。
アイスを食べながら六義園の入り口へ行き、入園料を払った。
左手でアイスを持ちながらお金を払うのは非常に難しい。右手で財布を出し、右手だけでお金を渡してお釣りを受け取る。そしてそれを右手だけでしまい、ポケットに財布を戻す。
そんな苦労をして園内へ入ると、思ったほど真っ赤になっていなかった。六義園は紅葉の名所だけれども、六義園の植物すべてが紅葉するわけではなくて、緑のままの植物もたくさんある。
そういえば、僕が知っている紅葉する植物といえばモミジとイチョウだけだ・・・って、それでいいのか理科担当。
(僕の勤務先を知っている友人への註:
弊社の教材はちゃんと専門知識のあるプロが作っていて、しっかりした内容になっています。誤解なきよう。)
六義園の中は混み合っていた。見た感じ、年配のご夫婦が多かった。そんな人たちが歩く流れに合わせて僕も園内を歩いた。
真っ赤なモミジを見て、「僕のハートも真っ赤に燃えているぜ、ベイビィ。」とか「モミジがきれいだけどあなたもきれいだね、ハニィ。」とか言いたかったけれど自分はそんなキャラじゃないし、そもそも1人でここに来ている。黙ってモミジを観賞した。
2時間ほど園内を歩き、辞去。
燃えてきたぁぁ
2005年11月25日ルービックキューブの早揃え対決をやることになりそうだ。
きっかけは、昨日、食事をしているときだった。労働組合執行部の活動のあと6人が集まり、仲良く食事をしているとルービックキューブの話になった。
その6人のうちルービックキューブを完成させられるのは2人いて、Y多さんと僕。
ルービックキューブを完成させられるという話をすると他の4人は少し驚いたようだったが、これは別に大したことではなくて、揃え方のマニュアルが頭に入っているだけなのだ。そのマニュアルさえ覚えてしまえば、誰でも、どんな状態からでも6面揃えられる。
Y多さんの話を聞くとやはりY多さんもマニュアルを覚えているらしいのだけれど、僕の知っているマニュアルと違うようだ。多分マニュアルが何通りかあるのだろう。
ということで、どうやらY多さん対僕のルービックキューブ早揃え対決が来月実現しそうなのだ。燃えてきたぁぁ!
ルービックキューブは実家にはあるのだが、手元に無い。ということで、さっき買ってしまった。2079円なり。
早速バラバラにして再び戻すという作業をしている。久しぶりにやるので少し不安だったのだが、大丈夫だ、手がちゃんと手順を覚えている。対決が楽しみだ。ふっふっふっ。
きっかけは、昨日、食事をしているときだった。労働組合執行部の活動のあと6人が集まり、仲良く食事をしているとルービックキューブの話になった。
その6人のうちルービックキューブを完成させられるのは2人いて、Y多さんと僕。
ルービックキューブを完成させられるという話をすると他の4人は少し驚いたようだったが、これは別に大したことではなくて、揃え方のマニュアルが頭に入っているだけなのだ。そのマニュアルさえ覚えてしまえば、誰でも、どんな状態からでも6面揃えられる。
Y多さんの話を聞くとやはりY多さんもマニュアルを覚えているらしいのだけれど、僕の知っているマニュアルと違うようだ。多分マニュアルが何通りかあるのだろう。
ということで、どうやらY多さん対僕のルービックキューブ早揃え対決が来月実現しそうなのだ。燃えてきたぁぁ!
ルービックキューブは実家にはあるのだが、手元に無い。ということで、さっき買ってしまった。2079円なり。
早速バラバラにして再び戻すという作業をしている。久しぶりにやるので少し不安だったのだが、大丈夫だ、手がちゃんと手順を覚えている。対決が楽しみだ。ふっふっふっ。
冷えますね
2005年11月22日だんだん寒くなってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
唐突ですが、寒さについて考えるうちに「花冷え」という言葉を思い出しました。なんだか風流な言葉です。
「冷え」というくらいですから晩秋か冬の言葉だろうと思っていたのですが、調べてみると違うのですね。
花冷えとは、桜の咲く季節に気温が一時的に下がることをいうそうです。
寒くなってきたせいか、頻繁にくしゃみが出ます。今日も大きなくしゃみをしてWさんをびっくりさせました。わたしのくしゃみを文字で表すと、あ゛ーぐsypうぇ§んっ・・・といった感じです。
(Wさん、いつもお世話になっております。「風邪ですか?」と心配してくださってありがとうございます。)
家に帰る途中、またくしゃみが出ました。家に着いてからも、またくしゃみが出ました。
鼻冷えのする季節ですね。
唐突ですが、寒さについて考えるうちに「花冷え」という言葉を思い出しました。なんだか風流な言葉です。
「冷え」というくらいですから晩秋か冬の言葉だろうと思っていたのですが、調べてみると違うのですね。
花冷えとは、桜の咲く季節に気温が一時的に下がることをいうそうです。
寒くなってきたせいか、頻繁にくしゃみが出ます。今日も大きなくしゃみをしてWさんをびっくりさせました。わたしのくしゃみを文字で表すと、あ゛ーぐsypうぇ§んっ・・・といった感じです。
(Wさん、いつもお世話になっております。「風邪ですか?」と心配してくださってありがとうございます。)
家に帰る途中、またくしゃみが出ました。家に着いてからも、またくしゃみが出ました。
鼻冷えのする季節ですね。
無題
2005年11月20日ラジオを聞くともなしに聞いていると、六義園の話題になった。
六義園は紅葉の名所らしい。次の週末にでも行ってみよう。
http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=72
今日はいろいろあって考えがまとまらない。
六義園は紅葉の名所らしい。次の週末にでも行ってみよう。
http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=72
今日はいろいろあって考えがまとまらない。
喫茶店にて
2005年11月19日先日、こんなことがあった。
喫茶店で食事をしていると、隣に高校生らしい男の子が座った。その男の子はハンバーグセットか何かを注文したようだった。で、ウェイトレスさんに「コーヒーはいつお持ちしましょうか?」と聞かれ、そこでこんなことを言った。
「いいタイミングで。」
笑っちゃいけないんだろうけど、おかしかった。
ウェイトレスさんが聞きたかったのは、コーヒーを食事と一緒に持ってくるか、食後に持ってくるかってことだよね。
あの男の子はこういう注文に慣れていなかったのかも。
喫茶店で食事をしていると、隣に高校生らしい男の子が座った。その男の子はハンバーグセットか何かを注文したようだった。で、ウェイトレスさんに「コーヒーはいつお持ちしましょうか?」と聞かれ、そこでこんなことを言った。
「いいタイミングで。」
笑っちゃいけないんだろうけど、おかしかった。
ウェイトレスさんが聞きたかったのは、コーヒーを食事と一緒に持ってくるか、食後に持ってくるかってことだよね。
あの男の子はこういう注文に慣れていなかったのかも。
姉(3)
2005年11月16日前回の日記は2002年の9月に書かれたもの。
その日記を書いた後、ずっと式の連絡を待ち続けたのだが、1年以上たった2003年の暮れになっても連絡は来なかった。
あっれー、僕抜きで式を済ませちゃったんかいな・・・って、んなアホな。
2003年の年末、実家に戻り姉に聞いてみた。
「ねえ、結婚するとか言ってなかったっけ。」
姉はぼそっと一言何か言った。「もういい。」と言ったように聞こえたが、さだかではない。聞き返せる雰囲気では無かった・・・。
何があったのか謎のまま。
先日の、母親からのメールによると、姉の相手は学校の先生だそうだ(それで、前の人と続いていたのかと思った)。
詳しいことが分かったら、弊社の営業の人に義兄のことを伝えよう。
義兄に弊社の教材を使ってもらうのだ。いひっ。
その日記を書いた後、ずっと式の連絡を待ち続けたのだが、1年以上たった2003年の暮れになっても連絡は来なかった。
あっれー、僕抜きで式を済ませちゃったんかいな・・・って、んなアホな。
2003年の年末、実家に戻り姉に聞いてみた。
「ねえ、結婚するとか言ってなかったっけ。」
姉はぼそっと一言何か言った。「もういい。」と言ったように聞こえたが、さだかではない。聞き返せる雰囲気では無かった・・・。
何があったのか謎のまま。
先日の、母親からのメールによると、姉の相手は学校の先生だそうだ(それで、前の人と続いていたのかと思った)。
詳しいことが分かったら、弊社の営業の人に義兄のことを伝えよう。
義兄に弊社の教材を使ってもらうのだ。いひっ。
姉(2)
2005年11月15日前回の日記で書いたように、今日の日記は3年前の日記のコピィペースト。
僕と姉は物心つくころからずーっと仲が悪かったのだが、この文章を書いた2002年の9月頃、ようやく姉と打ち解けられるようになってきた。わだかまりが解消された頃の日記。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
先月下旬のことだ。
勤務中に、携帯電話が鳴った。父親からだった。
「元気か?」と聞かれ、「うん。」と答える。
「こっちに帰って来ないか?」
「え?珍しいね、父さんがそんなこと言うなんて。」
そうなのだ。父は、そっちで好きなようにやれといつも言っていて、帰って来いなんて言うのはこれが初めてである。
時間が無かったため、父がなぜそんなことを言うのか聞きそびれたまま電話を切ってしまった。何か重要な話でもあるのだろうか。
しかし考えても結論の出るたぐいのことではなく、仕方なく、連休に帰省してきた。
帰宅して2日目の夕方、父親と二人きりになるチャンスがあった。
父親は居間でテレビを見ていて、母も姉も外出していたのである。
僕はおもむろに切り出した。
「ねえ、父さん。帰って来いって言うから帰ってきたけどさ、何か話でもあるの?」
すると父は振り向いて、少しの間があった後、衝撃的なことを言った。
話は少し先走る。
実家から東京へ戻るとき、姉が車で渋川駅まで送ると言い出した。用事があって出掛けるから、そのついでに、だそうだ。
姉は高校で教師をしている。強気な性格をしていて、断定的な言い方を好み、中途半端なことはしない。外見は、弟の僕が言うのも変だが割と整った顔立ちで、色が白く、つまり男にもてるタイプだ。しかし僕の知る限りでは姉が誰かを好きになったということはなさそうで、少し冷めた感じである。真面目な姉はいい加減な僕とウマが合わず、あまり会話をしないので、僕が知らないだけかもしれないが。
車内でも話が弾まなそうだ、と思っていたが、車が動き出すと姉は唐突に爆弾発言をした。
「あたしね、来年結婚するかもしれないんだー。」
「はっ!?」
「話の流れでね。そうなりそうなのよ。あ、そこのお茶飲んでいいからね。」
缶に入ったお茶なんてどうでもよく、珍しく優しいこと言ってくれるじゃんなどとつっこむ場合でもなく、
「え、ああ、相手はやっぱり先生なの?」
と聞くのが精一杯だった。
「うん。歴史好きな人でね。あちこち連れ回されるの。」
「群馬じゃあんまり史跡ないんじゃないかな。」
「そうね。
○○(←僕の下の名)、歴史の本がうちにいっぱいあったよね。あれカレシにあげたら喜ぶと思うんだけど、まだうちにあるかな。」
僕は本当に驚いた。僕にズケズケと物を言い、人の言うことの揚げ足をとり、間違ったことを強引に正当化する、そんな姉が照れくさそうにしゃべっている。こんなの初めて見た。
僕はちょっと動揺しながら、
「ああ、あげたり捨てたりしていないからあるはずだよ。」
「そう・・・。カレシ社会の先生じゃないんだけどね。」
車は渋川市内に入ったが、姉は、予定を変更して新前橋駅まで送ってあげると言い出した。
「渋川に用事があるんじゃないんだ?」
と僕が聞くと、
「ううん、太田に用があるの。」
と言う(大雑把な位置関係を説明すると、渋川の先に太田があり、前橋に寄るのは遠回りになる)。
「カレシは太田に住んでいてね、会いに行くの。」
この瞬間、まるでドラマのBGMのように、カーステレオから「風笛」が流れてきた(NHK連続テレビ小説「あすか」テ−マ曲。imageというアルバムの13曲目。オーボエのメロディが切なすぎる)。
僕はなぜか笑いが込み上げてきた。姉が女性であるという当たり前の事実に、このとき初めて気付かされたようなものだ。
姉さんは本当にいい人を見つけたわけだ。
姉さんに惚れた人は僕の知る限りでもたくさんいるのに、その中から一人選んだのだから。
姉さんのカレシは、同級生のAちゃんよりも、子持村に住む剣道部員よりも、久保田利伸似のKさんよりも、バンドをやっていたMさんよりも、ディズニーランドでデートした年下の男の子よりも、思い余って電話かけてきた教え子よりも、いい男なんだな。
僕が知るのはほんの氷山の一角に過ぎないけど、ベストな男性を見つけた姉さん、おめでとう。
さて、「何か話でもあるの?」と聞いたとき、父親は何と答えたか。
「いや、そういうわけじゃないけどさ。
○○(←僕の下の名)、ちょっと太ったんじゃないか?」
う・・・、話は特にないのか。何のために帰省したのかわからないじゃないか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
続く。
僕と姉は物心つくころからずーっと仲が悪かったのだが、この文章を書いた2002年の9月頃、ようやく姉と打ち解けられるようになってきた。わだかまりが解消された頃の日記。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
先月下旬のことだ。
勤務中に、携帯電話が鳴った。父親からだった。
「元気か?」と聞かれ、「うん。」と答える。
「こっちに帰って来ないか?」
「え?珍しいね、父さんがそんなこと言うなんて。」
そうなのだ。父は、そっちで好きなようにやれといつも言っていて、帰って来いなんて言うのはこれが初めてである。
時間が無かったため、父がなぜそんなことを言うのか聞きそびれたまま電話を切ってしまった。何か重要な話でもあるのだろうか。
しかし考えても結論の出るたぐいのことではなく、仕方なく、連休に帰省してきた。
帰宅して2日目の夕方、父親と二人きりになるチャンスがあった。
父親は居間でテレビを見ていて、母も姉も外出していたのである。
僕はおもむろに切り出した。
「ねえ、父さん。帰って来いって言うから帰ってきたけどさ、何か話でもあるの?」
すると父は振り向いて、少しの間があった後、衝撃的なことを言った。
話は少し先走る。
実家から東京へ戻るとき、姉が車で渋川駅まで送ると言い出した。用事があって出掛けるから、そのついでに、だそうだ。
姉は高校で教師をしている。強気な性格をしていて、断定的な言い方を好み、中途半端なことはしない。外見は、弟の僕が言うのも変だが割と整った顔立ちで、色が白く、つまり男にもてるタイプだ。しかし僕の知る限りでは姉が誰かを好きになったということはなさそうで、少し冷めた感じである。真面目な姉はいい加減な僕とウマが合わず、あまり会話をしないので、僕が知らないだけかもしれないが。
車内でも話が弾まなそうだ、と思っていたが、車が動き出すと姉は唐突に爆弾発言をした。
「あたしね、来年結婚するかもしれないんだー。」
「はっ!?」
「話の流れでね。そうなりそうなのよ。あ、そこのお茶飲んでいいからね。」
缶に入ったお茶なんてどうでもよく、珍しく優しいこと言ってくれるじゃんなどとつっこむ場合でもなく、
「え、ああ、相手はやっぱり先生なの?」
と聞くのが精一杯だった。
「うん。歴史好きな人でね。あちこち連れ回されるの。」
「群馬じゃあんまり史跡ないんじゃないかな。」
「そうね。
○○(←僕の下の名)、歴史の本がうちにいっぱいあったよね。あれカレシにあげたら喜ぶと思うんだけど、まだうちにあるかな。」
僕は本当に驚いた。僕にズケズケと物を言い、人の言うことの揚げ足をとり、間違ったことを強引に正当化する、そんな姉が照れくさそうにしゃべっている。こんなの初めて見た。
僕はちょっと動揺しながら、
「ああ、あげたり捨てたりしていないからあるはずだよ。」
「そう・・・。カレシ社会の先生じゃないんだけどね。」
車は渋川市内に入ったが、姉は、予定を変更して新前橋駅まで送ってあげると言い出した。
「渋川に用事があるんじゃないんだ?」
と僕が聞くと、
「ううん、太田に用があるの。」
と言う(大雑把な位置関係を説明すると、渋川の先に太田があり、前橋に寄るのは遠回りになる)。
「カレシは太田に住んでいてね、会いに行くの。」
この瞬間、まるでドラマのBGMのように、カーステレオから「風笛」が流れてきた(NHK連続テレビ小説「あすか」テ−マ曲。imageというアルバムの13曲目。オーボエのメロディが切なすぎる)。
僕はなぜか笑いが込み上げてきた。姉が女性であるという当たり前の事実に、このとき初めて気付かされたようなものだ。
姉さんは本当にいい人を見つけたわけだ。
姉さんに惚れた人は僕の知る限りでもたくさんいるのに、その中から一人選んだのだから。
姉さんのカレシは、同級生のAちゃんよりも、子持村に住む剣道部員よりも、久保田利伸似のKさんよりも、バンドをやっていたMさんよりも、ディズニーランドでデートした年下の男の子よりも、思い余って電話かけてきた教え子よりも、いい男なんだな。
僕が知るのはほんの氷山の一角に過ぎないけど、ベストな男性を見つけた姉さん、おめでとう。
さて、「何か話でもあるの?」と聞いたとき、父親は何と答えたか。
「いや、そういうわけじゃないけどさ。
○○(←僕の下の名)、ちょっと太ったんじゃないか?」
う・・・、話は特にないのか。何のために帰省したのかわからないじゃないか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
続く。
姉(1)
2005年11月14日一昨日、母親からメールが届いた。
その日、男性が家にやってきて、その人と姉の結婚が決まった、という文面だった。しかし決まったのはそれだけで、式の日程など詳しいことは未定だそうだ。
そして今日。
父親から電話があった。たまたま電話に出ることが出来なくて留守電になってしまったのだが、留守電の内容は母親からのメールとまったく同じだった。
男性が来たその日のうちに連絡をよこす母親と、2日たってから連絡してくる父親。それぞれの性格の違いがよく現れていて面白い。
また、メールを打てる母親と、メールをやらない父親の違いもハッキリ見えて、これまた面白い。
一昨日母親から連絡を受けたときは、「姉は姉。僕は僕。」と思って無関心だったけれど、2日たった今日になってようやく相手に興味が湧いてきた。いったいどんな人なんだろう?
そういえば、3年前にもやっぱり姉の結婚の話があった。今回の相手はそのときの相手と同じなんだろうか。
次回は3年前の日記をコピィペーストする予定。
その日、男性が家にやってきて、その人と姉の結婚が決まった、という文面だった。しかし決まったのはそれだけで、式の日程など詳しいことは未定だそうだ。
そして今日。
父親から電話があった。たまたま電話に出ることが出来なくて留守電になってしまったのだが、留守電の内容は母親からのメールとまったく同じだった。
男性が来たその日のうちに連絡をよこす母親と、2日たってから連絡してくる父親。それぞれの性格の違いがよく現れていて面白い。
また、メールを打てる母親と、メールをやらない父親の違いもハッキリ見えて、これまた面白い。
一昨日母親から連絡を受けたときは、「姉は姉。僕は僕。」と思って無関心だったけれど、2日たった今日になってようやく相手に興味が湧いてきた。いったいどんな人なんだろう?
そういえば、3年前にもやっぱり姉の結婚の話があった。今回の相手はそのときの相手と同じなんだろうか。
次回は3年前の日記をコピィペーストする予定。
ライブハウス(4)
2005年11月13日ライブハウスに行くと単独ライブは少ないようで、お目当てのバンド以外もいろいろと耳に入ってくる。
今、気になっているバンドは、
・茶飲み友達
・フォークデュオ永田
・吉岡宏之
・今田典男
・真夜中ギター
真夜中ギターは宮城のバンドで、東京に来ることはあまりないみたいだけど、たまたまこちらに来たときに聞いて気に入った。
さて、前述したように、これらのバンドが単独でライブをすることはなく、複数のバンドが演奏する。するとどうなるか。
たとえば、5組の演奏があったとする。そのうちの1つはお気に入りのバンドで、他の4つの中から「あ、このバンドもいい!」と思うのが1つはある。このバンドも次回のライブを聞きに行こう、なんて思う。
そうやって次のライブに行くと、また同じ展開で好きなバンドが増えて・・・、このように、好きなバンドが等比級数的に増えていく。
今後もこの調子でますます増えていきそうな予感。
今、気になっているバンドは、
・茶飲み友達
・フォークデュオ永田
・吉岡宏之
・今田典男
・真夜中ギター
真夜中ギターは宮城のバンドで、東京に来ることはあまりないみたいだけど、たまたまこちらに来たときに聞いて気に入った。
さて、前述したように、これらのバンドが単独でライブをすることはなく、複数のバンドが演奏する。するとどうなるか。
たとえば、5組の演奏があったとする。そのうちの1つはお気に入りのバンドで、他の4つの中から「あ、このバンドもいい!」と思うのが1つはある。このバンドも次回のライブを聞きに行こう、なんて思う。
そうやって次のライブに行くと、また同じ展開で好きなバンドが増えて・・・、このように、好きなバンドが等比級数的に増えていく。
今後もこの調子でますます増えていきそうな予感。
ライブハウス(3)
2005年11月11日続いて10月21日のライブにも行った。この日はayaのレコ発イベント。CD発売おめでとう。
ライブの場所は下北沢のMOSAiCだった。
http://www.studio-museum.com/mosaic/index2.html
地下がライブの会場になっていて、1階でCDを売っていた。そのCDは8曲も入っているのに値段はなぜかたったの1,000円。即決で買って、それを持って階段を降りた。
聞きやすそうな位置に陣取り、ライブが始まるのを待つ。僕の右側一帯は大学生が多く、一方、左側は40代後半くらいの女性が7、8人固まっている。ayaの曲は幅広い年代に支持されている・・・と思ってぼんやりとしていると、左側から少し会話が聞こえてきて、その内容に驚いた。僕の左隣に座る女性に向かって、「お宅のあやちゃんは・・・」とか言っている。
え、もしかして僕の左隣に座っているのはayaの母親!?
左にいるのが母親だと分かって、なぜか背筋を伸ばしてしまった。いや、背筋を伸ばしても別に意味無いけれど。
続く。
ライブの場所は下北沢のMOSAiCだった。
http://www.studio-museum.com/mosaic/index2.html
地下がライブの会場になっていて、1階でCDを売っていた。そのCDは8曲も入っているのに値段はなぜかたったの1,000円。即決で買って、それを持って階段を降りた。
聞きやすそうな位置に陣取り、ライブが始まるのを待つ。僕の右側一帯は大学生が多く、一方、左側は40代後半くらいの女性が7、8人固まっている。ayaの曲は幅広い年代に支持されている・・・と思ってぼんやりとしていると、左側から少し会話が聞こえてきて、その内容に驚いた。僕の左隣に座る女性に向かって、「お宅のあやちゃんは・・・」とか言っている。
え、もしかして僕の左隣に座っているのはayaの母親!?
左にいるのが母親だと分かって、なぜか背筋を伸ばしてしまった。いや、背筋を伸ばしても別に意味無いけれど。
続く。
ライブハウス(2)
2005年11月9日10月4日(火)、ayaのライブに行った。
最初にライブハウスに行ったときと違って戸惑いや気後れは無い。
この日も最初に行ったときと同様に、5組のバンドが30分ずつステージに立つというもの。
ライブハウスの入り口でお金を払い、「どのバンドを聞きに来たのですか?」と聞かれるので「aya。」と答える。受付の人がayaのシートに僕の名前を記入した。
この日、ayaは5組のうちの1番目だった。
ayaの曲はどの曲も優しくて純粋で、そしてやっぱり力強い。
ayaのステージが終わり、次のバンドがステージに出てくるまでの間、パンフレットを読んだ。ライブハウスのスケジュール表やアンケート用紙に目を通した。みんな、曲を聴いてほしくて頑張っているんだなあ・・・などと考えていると突然、「○○さん(←僕の名字)ですか?」と声をかけられた。えっ!?
バッと顔を上げると、そこには2人の人が立っていて、よく見ると右の人はayaだった。ayaは歌い終わった後に受付でシートを受け取り、僕の名前を見つけ、ライブハウス内を探したらしい。ライブを聞きにきたお礼を言いたかったようだ。
あまりにも意外で僕のほうは舌がうまくまわらなかったけれど、頑張ってしゃべった。
ayaの左にいた人は「ライブ情報をメールで送ってるSです。」と言っていた。ayaのサポートをしている人らしい。
僕はただayaの曲が聴ければそれで満足だけれど、話すとそれはそれで楽しい。たとえろれつが回らなくても。
続く。
最初にライブハウスに行ったときと違って戸惑いや気後れは無い。
この日も最初に行ったときと同様に、5組のバンドが30分ずつステージに立つというもの。
ライブハウスの入り口でお金を払い、「どのバンドを聞きに来たのですか?」と聞かれるので「aya。」と答える。受付の人がayaのシートに僕の名前を記入した。
この日、ayaは5組のうちの1番目だった。
ayaの曲はどの曲も優しくて純粋で、そしてやっぱり力強い。
ayaのステージが終わり、次のバンドがステージに出てくるまでの間、パンフレットを読んだ。ライブハウスのスケジュール表やアンケート用紙に目を通した。みんな、曲を聴いてほしくて頑張っているんだなあ・・・などと考えていると突然、「○○さん(←僕の名字)ですか?」と声をかけられた。えっ!?
バッと顔を上げると、そこには2人の人が立っていて、よく見ると右の人はayaだった。ayaは歌い終わった後に受付でシートを受け取り、僕の名前を見つけ、ライブハウス内を探したらしい。ライブを聞きにきたお礼を言いたかったようだ。
あまりにも意外で僕のほうは舌がうまくまわらなかったけれど、頑張ってしゃべった。
ayaの左にいた人は「ライブ情報をメールで送ってるSです。」と言っていた。ayaのサポートをしている人らしい。
僕はただayaの曲が聴ければそれで満足だけれど、話すとそれはそれで楽しい。たとえろれつが回らなくても。
続く。
ライブハウス(1)
2005年11月8日以前の日記で、ayaというミュージシャンのファンになったことを書いた。
あれから約3ヶ月。その話を書いた後はライブハウスの話は書いていないけれど、その後、足しげくライブハウスに通っている。
吉祥寺の通りでayaのことを知り、その翌日ライブハウスに行ったときのこと。ライブハウスの入り口でアンケート用紙を渡された。
ふむふむ、このアンケートに必要事項を書けば次のライブ情報を送ってくれるというのだな。
ayaのライブ情報はもちろん欲しいので、自分の住所・氏名・メールアドレスを記入した。また、必要事項のほかメッセージもきちんと書いた。「昨日、通りでayaさんの歌を聞いて好きになったのでライブに来ました。今後も応援します。」という意味のことを書いた。
そのライブの数日後。仕事を終えてアパートに帰り、なんとなく郵便受けを覗いてみた。
いつもは郵便受けにはくだらないチラシしか入っていなくて、まとめて全部捨てるだけなのだが、その日は珍しく1枚の葉書が入っていた。官製ではなく、空色の厚紙で作られた手作りの葉書だ。誰からだろうと思って差出人を見ると、驚いたことにayaからだった。ライブに行ったことに対するお礼の手紙だった。
うっひゃー。
大家さんの猫が足にまとわりついてくるので、猫にも手紙を見せた。「ねえ、これ見てよ。」「ニャーオ?」猫はそう言うと顔をそらして僕のすねに顔をこすり付けてきた。手紙には興味が無いようだ。
階段を上がり自室に飛び込み、電気をつけてもう1回まじまじと手紙を読んだ。
ベッドの上で仰向けになり手紙を胸の上に乗せて、足をバタバタさせた。そしてじんわりと喜びにひたる。
ただ、かすかに・・・、こんなふうにファンと接するということはファンがまだ少ないのかな、もっと多くの人にayaの歌が届くといいのに、とも思った。
続く。
あれから約3ヶ月。その話を書いた後はライブハウスの話は書いていないけれど、その後、足しげくライブハウスに通っている。
吉祥寺の通りでayaのことを知り、その翌日ライブハウスに行ったときのこと。ライブハウスの入り口でアンケート用紙を渡された。
ふむふむ、このアンケートに必要事項を書けば次のライブ情報を送ってくれるというのだな。
ayaのライブ情報はもちろん欲しいので、自分の住所・氏名・メールアドレスを記入した。また、必要事項のほかメッセージもきちんと書いた。「昨日、通りでayaさんの歌を聞いて好きになったのでライブに来ました。今後も応援します。」という意味のことを書いた。
そのライブの数日後。仕事を終えてアパートに帰り、なんとなく郵便受けを覗いてみた。
いつもは郵便受けにはくだらないチラシしか入っていなくて、まとめて全部捨てるだけなのだが、その日は珍しく1枚の葉書が入っていた。官製ではなく、空色の厚紙で作られた手作りの葉書だ。誰からだろうと思って差出人を見ると、驚いたことにayaからだった。ライブに行ったことに対するお礼の手紙だった。
うっひゃー。
大家さんの猫が足にまとわりついてくるので、猫にも手紙を見せた。「ねえ、これ見てよ。」「ニャーオ?」猫はそう言うと顔をそらして僕のすねに顔をこすり付けてきた。手紙には興味が無いようだ。
階段を上がり自室に飛び込み、電気をつけてもう1回まじまじと手紙を読んだ。
ベッドの上で仰向けになり手紙を胸の上に乗せて、足をバタバタさせた。そしてじんわりと喜びにひたる。
ただ、かすかに・・・、こんなふうにファンと接するということはファンがまだ少ないのかな、もっと多くの人にayaの歌が届くといいのに、とも思った。
続く。
今年最後の部活動
2005年11月6日今日は野球部の練習があった。
待ち合わせの場所へ行く途中で、頭の中で今までの練習を振り返ってみた。バッティングのこと、ボールの投げ方・受け方、フライが来たとき・ゴロが来たとき、中継プレイとバックアップ、などなど。
今日は今年最後の練習だから、この1年間で学んだことを全部出し切りたいと思った。練習に行けなかったことも何回かあるけれども、自分なりに真剣に野球に取り組んできたつもりだ。これで何も身についていなかったら悲しすぎる。
グラウンドに着いた時点では雨は降っていなかった。怪しい空模様の下、練習開始。
今日はバッティングの調子がよかった。前回の練習ではバットが重く感じられて全然ダメだったけれど、今日はすごく軽く感じられた(もちろん、いつも同じバット)。
バットを高々と掲げて上体を右方向にひねって力を溜める。左足も少し内側にひねる。で、ボールが来たら踏み込んでドカン!
快調快調。総監督に「その感じ。」と言われた。
一方、フライの捕り方は相変わらず下手だった。目測を誤ってばかりで、ちゃんと捕れたのはたった3球。これじゃダメだ。
それでも、前回の練習よりは捕球率は上がっている。何を隠そう、前回は1球しか捕れなかった。
今日学んだことを次の練習でどれだけ生かせるか(次の練習は半年くらい先になるけど)、勝負処になりそうだ。
さて、1つぶっちゃけると・・・、今日の練習は遅刻した。数日前の日記で「遅刻しなくなった」なんて書いておきながら。
はあ、かっこ悪い。内心、ものすごく自分に腹を立てている。
練習があるときはいつもO先輩の車に乗せてもらうのだけれど、今日はO先輩は仕事があって練習に不参加。なので、僕は電車とタクシィで練習場へ行くつもりだった。しかし今朝10時にK先輩から電話がかかってきて、「どうやって行くつもりなの?もしも足がなければ車に乗せてく。」と言われた。おお、ありがたい。
K先輩が「12時20分にI駅の前にいて。」と言うので、ん、それで1時の練習に間に合うのかな・・・と少し疑問に思ったのだけれどそれを言えず(←これが敗因)、結局1時過ぎに練習場に着いた。
くそう、「もう少し早く待ち合わせしましょう。」って何で言えなかったんだろう?悔しい。
K先輩は話をしやすい相手なのに。
言おうと思ったことをうまく言えなくて後悔したことなんて何度もあるのに、今回はその経験を生かせなかった。
こういったことも野球のことも、ちゃんと次に生かさないといけないな。
待ち合わせの場所へ行く途中で、頭の中で今までの練習を振り返ってみた。バッティングのこと、ボールの投げ方・受け方、フライが来たとき・ゴロが来たとき、中継プレイとバックアップ、などなど。
今日は今年最後の練習だから、この1年間で学んだことを全部出し切りたいと思った。練習に行けなかったことも何回かあるけれども、自分なりに真剣に野球に取り組んできたつもりだ。これで何も身についていなかったら悲しすぎる。
グラウンドに着いた時点では雨は降っていなかった。怪しい空模様の下、練習開始。
今日はバッティングの調子がよかった。前回の練習ではバットが重く感じられて全然ダメだったけれど、今日はすごく軽く感じられた(もちろん、いつも同じバット)。
バットを高々と掲げて上体を右方向にひねって力を溜める。左足も少し内側にひねる。で、ボールが来たら踏み込んでドカン!
快調快調。総監督に「その感じ。」と言われた。
一方、フライの捕り方は相変わらず下手だった。目測を誤ってばかりで、ちゃんと捕れたのはたった3球。これじゃダメだ。
それでも、前回の練習よりは捕球率は上がっている。何を隠そう、前回は1球しか捕れなかった。
今日学んだことを次の練習でどれだけ生かせるか(次の練習は半年くらい先になるけど)、勝負処になりそうだ。
さて、1つぶっちゃけると・・・、今日の練習は遅刻した。数日前の日記で「遅刻しなくなった」なんて書いておきながら。
はあ、かっこ悪い。内心、ものすごく自分に腹を立てている。
練習があるときはいつもO先輩の車に乗せてもらうのだけれど、今日はO先輩は仕事があって練習に不参加。なので、僕は電車とタクシィで練習場へ行くつもりだった。しかし今朝10時にK先輩から電話がかかってきて、「どうやって行くつもりなの?もしも足がなければ車に乗せてく。」と言われた。おお、ありがたい。
K先輩が「12時20分にI駅の前にいて。」と言うので、ん、それで1時の練習に間に合うのかな・・・と少し疑問に思ったのだけれどそれを言えず(←これが敗因)、結局1時過ぎに練習場に着いた。
くそう、「もう少し早く待ち合わせしましょう。」って何で言えなかったんだろう?悔しい。
K先輩は話をしやすい相手なのに。
言おうと思ったことをうまく言えなくて後悔したことなんて何度もあるのに、今回はその経験を生かせなかった。
こういったことも野球のことも、ちゃんと次に生かさないといけないな。
絵本展
2005年11月3日今日は絵本展に行ってきた。その展示会の名は「ほっぷ絵本展」。
ほっぷというイラストレータのグループがある。総勢12名で、全員が東京デザイナー学院出身。このメンバ全員がそれぞれ絵本を作ったそうで、その絵本展の案内が僕の左隣に座るWさん宛てに届き、それが部署内で回覧されたのだ。
さて。
ほっぷの絵本はどれもよかったけれど、特に石井よしきさんと公文祐子さんの絵本がよかった。
石井よしきさんの本はストーリィがよかった。2人の子供が真っ白なノートを拾い、そこに絵と文をつづっていくという話。その子供たちは3本のストーリィを書き上げるのだけれど、その3つはそれぞれ単独ではなくて、共通する人物が出てきたりしてうまくつながっている。
少ないページ数でよくあれだけのストーリィを作れるなあ。
公文祐子さんの絵本は不思議な立体感があった。一見するとまるで紙の上に紙を貼ったかのように見えるのだが、よく見るとそうではない。影が精巧に描かれていて、その影のせいで紙を貼り付けてあるように見えるのだ。あの絵本はみんな手にとって触ってみたくなるんじゃないかしらん。
今の部署に移ってからイラストレータやデザイナの展示会のお知らせがよく回ってくる。勉強のつもりでそういうところにも積極的に顔を出そうか・・・と思ったけれど、その前に本屋さんに足を運んで児童書を見てみるべきだな。たくさんの絵を見た上で展示会に行くと、また違う感想を持ちそうだ。
「やりたいこと」「やっておいたほうがいいこと」「やらなければいけないこと」。
3つともじわじわと増加中。
ほっぷというイラストレータのグループがある。総勢12名で、全員が東京デザイナー学院出身。このメンバ全員がそれぞれ絵本を作ったそうで、その絵本展の案内が僕の左隣に座るWさん宛てに届き、それが部署内で回覧されたのだ。
さて。
ほっぷの絵本はどれもよかったけれど、特に石井よしきさんと公文祐子さんの絵本がよかった。
石井よしきさんの本はストーリィがよかった。2人の子供が真っ白なノートを拾い、そこに絵と文をつづっていくという話。その子供たちは3本のストーリィを書き上げるのだけれど、その3つはそれぞれ単独ではなくて、共通する人物が出てきたりしてうまくつながっている。
少ないページ数でよくあれだけのストーリィを作れるなあ。
公文祐子さんの絵本は不思議な立体感があった。一見するとまるで紙の上に紙を貼ったかのように見えるのだが、よく見るとそうではない。影が精巧に描かれていて、その影のせいで紙を貼り付けてあるように見えるのだ。あの絵本はみんな手にとって触ってみたくなるんじゃないかしらん。
今の部署に移ってからイラストレータやデザイナの展示会のお知らせがよく回ってくる。勉強のつもりでそういうところにも積極的に顔を出そうか・・・と思ったけれど、その前に本屋さんに足を運んで児童書を見てみるべきだな。たくさんの絵を見た上で展示会に行くと、また違う感想を持ちそうだ。
「やりたいこと」「やっておいたほうがいいこと」「やらなければいけないこと」。
3つともじわじわと増加中。
目覚まし時計
2005年11月1日目覚まし時計が壊れた。
目覚まし時計については以前書いたような気がして探してみたら、あった、去年の8月8日に書いていた。
http://diarynote.jp/d/45053/20040808.html
そこに書いたように、僕はいつも目覚まし時計を2つ使っている。1つだけだと夜中に電池が切れて止まってしまったら寝坊してしまうし、また、朝になって目が覚めてもベルをうっかり止めてまた寝る、なんてこともあるかもしれない。目覚まし時計を2個用意することでそういった危険を回避している。
その2個のうち1個が壊れた。新しいのを1個買おう。
3階から2階に異動になって、周りの人の遅刻が気になるようになった。3階では遅刻する人は全然いなかったのに、2階の、大部屋に入って左半分は遅刻する人が多いのだ。9時半に出社するはずの人が9時35分に来るし、10時出社の人が10時5分に来る。
こういうのは上の立場の人がガツンと注意しないとダメなんじゃないかと思って編集長のほうをチラリと見ると・・・、編集長がいない。なんと編集長も時間通りに出社しないのだ。おいおい。
今でこそ会社に遅刻しないようになった僕だが、かつては朝はなかなか起きられなかった。当時は目覚まし時計を1個しか使っていなくて、一旦起きても目覚ましを止めてまた寝てしまい、週に1度くらいのペースで遅刻していた。
うーむ、これじゃあまずい・・・、と思って考えたのが以下のような作戦である。名付けて「遅刻するたびに目覚まし時計を増やそう大作戦」。
これはその作戦名の通り、遅刻をするたびに目覚まし時計を増やすというものだ。一度遅刻したら目覚ましを2つにする。目覚ましを2つにしても遅刻したら次は目覚ましを3つセットする。それでも失敗したら次は4つ。
そのうち目覚ましを増やしすぎて止めるのに時間がかかるようになり、結局遅刻したりしてな・・・くすくす。
このとびっきりのアイデアを友人に話したところ、「馬鹿な考えから早く眼を覚ませ!」と言われた。
完璧な突っ込みありがとう。
目覚まし時計については以前書いたような気がして探してみたら、あった、去年の8月8日に書いていた。
http://diarynote.jp/d/45053/20040808.html
そこに書いたように、僕はいつも目覚まし時計を2つ使っている。1つだけだと夜中に電池が切れて止まってしまったら寝坊してしまうし、また、朝になって目が覚めてもベルをうっかり止めてまた寝る、なんてこともあるかもしれない。目覚まし時計を2個用意することでそういった危険を回避している。
その2個のうち1個が壊れた。新しいのを1個買おう。
3階から2階に異動になって、周りの人の遅刻が気になるようになった。3階では遅刻する人は全然いなかったのに、2階の、大部屋に入って左半分は遅刻する人が多いのだ。9時半に出社するはずの人が9時35分に来るし、10時出社の人が10時5分に来る。
こういうのは上の立場の人がガツンと注意しないとダメなんじゃないかと思って編集長のほうをチラリと見ると・・・、編集長がいない。なんと編集長も時間通りに出社しないのだ。おいおい。
今でこそ会社に遅刻しないようになった僕だが、かつては朝はなかなか起きられなかった。当時は目覚まし時計を1個しか使っていなくて、一旦起きても目覚ましを止めてまた寝てしまい、週に1度くらいのペースで遅刻していた。
うーむ、これじゃあまずい・・・、と思って考えたのが以下のような作戦である。名付けて「遅刻するたびに目覚まし時計を増やそう大作戦」。
これはその作戦名の通り、遅刻をするたびに目覚まし時計を増やすというものだ。一度遅刻したら目覚ましを2つにする。目覚ましを2つにしても遅刻したら次は目覚ましを3つセットする。それでも失敗したら次は4つ。
そのうち目覚ましを増やしすぎて止めるのに時間がかかるようになり、結局遅刻したりしてな・・・くすくす。
このとびっきりのアイデアを友人に話したところ、「馬鹿な考えから早く眼を覚ませ!」と言われた。
完璧な突っ込みありがとう。
坂本真綾
2005年10月29日坂本真綾のライブを見に行った。場所は六本木ヒルズ。
僕が初めて坂本真綾を知ったのはラジオでだった。初めて聴いた曲は「しっぽのうた」。その曲はあんまり好きではなかったけれど、その後「マメシバ」、「ヘミソフィア」、「Tune the rainbow」と新曲を出すにつれて僕の好みとピッタリ合うようになり、今の坂本真綾は大好きである。
今回のライブは、10月26日に5thアルバム「夕凪LOOP」を発売したことに合わせて行われた。
僕はそのアルバムを発売日の2日後、会社帰りに買った。このアルバムの印象を一言で言うと、全体的にきれいにまとまっているという感じ。特に5曲目の「パプリカ」がいい。Gontitiのリズム感と通じるものがある。
ライブ当日は天気が悪かったにもかかわらず、ものすごい人ごみだった。会場に入れなくて、遠巻きに眺めていた人もたくさんいた。
ライブで歌った曲は夕凪LOOPの曲が多かった。「ループ」、「若葉」、そして「夕凪LOOP」。この日はアルバムが発売されてからまだ3日しかたっていないのに、僕の左隣にいた女の子は全曲歌詞を覚えて来たらしく、曲に合わせて口パクをしていた。すごい!ファンの鑑だ。
このアルバムの曲以外では、「Tune the rainbow」が聴けた。坂本真綾が「『Tune the rainbow』を歌います。」と言ったとき会場がどよめいたので、この曲が好きな人は多いのだろう。みんなと気持ちを共有出来て楽しかった。
坂本真綾の後ろでコンガを叩いていた人もノリノリで、すごく楽しそうだった。
坂本真綾のウェブページは下記。
http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/
僕が初めて坂本真綾を知ったのはラジオでだった。初めて聴いた曲は「しっぽのうた」。その曲はあんまり好きではなかったけれど、その後「マメシバ」、「ヘミソフィア」、「Tune the rainbow」と新曲を出すにつれて僕の好みとピッタリ合うようになり、今の坂本真綾は大好きである。
今回のライブは、10月26日に5thアルバム「夕凪LOOP」を発売したことに合わせて行われた。
僕はそのアルバムを発売日の2日後、会社帰りに買った。このアルバムの印象を一言で言うと、全体的にきれいにまとまっているという感じ。特に5曲目の「パプリカ」がいい。Gontitiのリズム感と通じるものがある。
ライブ当日は天気が悪かったにもかかわらず、ものすごい人ごみだった。会場に入れなくて、遠巻きに眺めていた人もたくさんいた。
ライブで歌った曲は夕凪LOOPの曲が多かった。「ループ」、「若葉」、そして「夕凪LOOP」。この日はアルバムが発売されてからまだ3日しかたっていないのに、僕の左隣にいた女の子は全曲歌詞を覚えて来たらしく、曲に合わせて口パクをしていた。すごい!ファンの鑑だ。
このアルバムの曲以外では、「Tune the rainbow」が聴けた。坂本真綾が「『Tune the rainbow』を歌います。」と言ったとき会場がどよめいたので、この曲が好きな人は多いのだろう。みんなと気持ちを共有出来て楽しかった。
坂本真綾の後ろでコンガを叩いていた人もノリノリで、すごく楽しそうだった。
坂本真綾のウェブページは下記。
http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/
異動にまつわるエトセトラ(最後)
2005年10月28日異動して席を移した1週間後。異動先の部署で歓迎会があり、みんなでジンギスカンを食べた。
その席では、群馬弁で話してみてほしいと言われ(自分から「最近群馬弁で話していない。」と言いだしたかもしれない)、さらに、「異動したことを家族に話していないから連絡しないと・・・。」という話をした。じゃあこの場で家に電話しなよ、群馬弁で・・・と言われるのは必然の流れだ。
実家に電話をかけると留守電につながり、メッセージを吹き込んでいる途中で母親が出た。
「まーんつ、あれだんべさあ、僕、異動したんだいね。今、歓迎会なんさあ(以下略)。」そんな話をした後、携帯電話を上司に渡す。
あれ、なんで編集長に携帯を渡しんだっけ。今となってはなぜそんなことをしたのかよく思い出せない。
編集長が母親と話をした後、編集長よりもさらに1つ上の立場のUさんに携帯が渡り、Uさんも母親と話をした。なんじゃこの展開は・・・と自分から暴走しておきながら思った。左手で自分の顔を覆って少しうつむきながら、母が失礼なことを言いませんようにと切に願った。
あの歓迎会の後、編集長もUさんも何も言わないので、多分大丈夫だと思うけど。
まーんつ、あれだ、以前この日記に書いたように群馬に帰りたいという想いもあったのだけれど、しばらくそれは封印する。編集の仕事をやらせてもらえるようになったのだから、頑張ってみんべえよ。
その席では、群馬弁で話してみてほしいと言われ(自分から「最近群馬弁で話していない。」と言いだしたかもしれない)、さらに、「異動したことを家族に話していないから連絡しないと・・・。」という話をした。じゃあこの場で家に電話しなよ、群馬弁で・・・と言われるのは必然の流れだ。
実家に電話をかけると留守電につながり、メッセージを吹き込んでいる途中で母親が出た。
「まーんつ、あれだんべさあ、僕、異動したんだいね。今、歓迎会なんさあ(以下略)。」そんな話をした後、携帯電話を上司に渡す。
あれ、なんで編集長に携帯を渡しんだっけ。今となってはなぜそんなことをしたのかよく思い出せない。
編集長が母親と話をした後、編集長よりもさらに1つ上の立場のUさんに携帯が渡り、Uさんも母親と話をした。なんじゃこの展開は・・・と自分から暴走しておきながら思った。左手で自分の顔を覆って少しうつむきながら、母が失礼なことを言いませんようにと切に願った。
あの歓迎会の後、編集長もUさんも何も言わないので、多分大丈夫だと思うけど。
まーんつ、あれだ、以前この日記に書いたように群馬に帰りたいという想いもあったのだけれど、しばらくそれは封印する。編集の仕事をやらせてもらえるようになったのだから、頑張ってみんべえよ。
異動にまつわるエトセトラ(7)
2005年10月27日理科の授業といえば、教育に対して初めて疑問が湧いたのは理科の授業を受けているときだった。植物の仕組みを勉強しているとき、先生がこんなことを言ったのだ。
「植物には師管と道管というのがありますね。でもこれは本当は『篩管』と『導管』と書くのが正しいんです。篩という字はふるいと読みます。ふるいにかける、とかのふるいです。篩管はふるいに似ているのでその名が付きました。
でも、篩という字も導という字も難しいので、文部省がこのように文字を変えてしまいました。師管なんて書いたら漢字の意味が全然通らなくなるのに。」
これを聞いて、大ショックを受けた。えっ、そんな都合で用語が変わってしまうことがあるの?本来の字を大事にしなくてもいいの?
それまでは教科書に書かれていることはすべて絶対的な真理だと思っていたのだけれど、このとき初めて、教科書とは何か、勉強とは何か、学校とは何なのか・・・と疑問が生まれた。
当時はその疑問がちゃんとした考察に結びつくわけではなかったけれど。
異動の話、あと1回続く。
「植物には師管と道管というのがありますね。でもこれは本当は『篩管』と『導管』と書くのが正しいんです。篩という字はふるいと読みます。ふるいにかける、とかのふるいです。篩管はふるいに似ているのでその名が付きました。
でも、篩という字も導という字も難しいので、文部省がこのように文字を変えてしまいました。師管なんて書いたら漢字の意味が全然通らなくなるのに。」
これを聞いて、大ショックを受けた。えっ、そんな都合で用語が変わってしまうことがあるの?本来の字を大事にしなくてもいいの?
それまでは教科書に書かれていることはすべて絶対的な真理だと思っていたのだけれど、このとき初めて、教科書とは何か、勉強とは何か、学校とは何なのか・・・と疑問が生まれた。
当時はその疑問がちゃんとした考察に結びつくわけではなかったけれど。
異動の話、あと1回続く。