朝9時半頃に大宮駅でmioと合流。岩槻インタから東北自動車道を北に向かって爆走。
車の中では、たとえばこんな話をした。ちょっと危なっかしい運転をしている人を見つけて、
mio「オヤジはああいう車を見ると、『ああいう運転をするのは女やな』って言うな。」
僕「うちのオヤジは左ハンドルの車を見ると『生意気なっ!』って言う。」
mio「オヤジは断定するねんな。」
そんな話をしたり、ドライブ中にかけたCDをきっかけに最近のポップスの話をしたりした。それと僕の母親の話もした。母親の話は、僕がしゃべっただけで、mioは相槌をうつ感じ。

今は母親は支障なく生活しているけれど、もしも悪くなったら(そんな想像はしたくないけど)家族みんなで協力して、助け合っていかないといけない。父・姉・僕、それぞれ自分の生活があるけれどもうまくやるしかない。僕は息子としてやるべきことをやろう。
照れくさいのであまり大きな声では言えないけれど、この時代にこの場所で生きることが出来て幸福に感じる。親には本当に感謝している。

続く。
それは、突然の思い付きだった。

母の病気のことで気分が重かった僕は、何か気分転換する方法は無いものか考えていた。やっぱり友達に会うのが基本だよな・・・、あっ、そうだ。デッチに会いに行くというのはどうだろう?

デッチのことは以前ここに書いたことがある。つい最近もD氏として登場している。
デッチは栃木県の大田原で本屋をやっている。そのデッチのところに急におしかけてびっくりさせるというのはどうだろう?
もちろん、デッチは忙しいだろうから2、3分立ち話をするだけにして、こちらはすぐに本屋を出る。あとはちょっと大田原を観光しよう。観光情報を調べてみると、ふむふむ、大田原は今さくら祭りをやっているんだね。
最悪の場合、デッチの本屋が休みなんてことも考えられるけれども、そのときはそのとき考えよう。
そうだ、mioも誘おう。mioなら喜んでこういう計画に乗りそう。

mioに連絡すると、mioも二つ返事で行くと言ってくれた。もしもmioの都合が悪ければ僕は電車で行くつもりをしていたのだけれど、mioが車を出してくれると言う。ということで、2人してデッチ急襲計画を実行した。

続く。
mioとドライブに行った。
ドライブ中、いろいろ考えた。母の病気のことはもちろん、人付き合いのことや、その他もろもろ。
(でも2つ前の日記に書いたように、僕への心配は無用。)

詳しくはおいおい語ります。今日はおやすみ。

内輪ネタ

2006年4月13日
組合執行部の書記長、僕の心理が手に取るように分かるんですね。笑っている場合じゃないけど苦笑いしちゃいました。

4月12日

2006年4月12日
昨日の日記と関連したことを書こうかどうしようか迷った末・・・、やめることにした。

一旦書き始めたものの、書いててつまらなくなったのでやめる。つまらない気持ちで書かれた文章をアップした場合、読む人はさらにつまらなく感じることが多い気がする。
予定では野球部の活動や組合活動を通して、最近の出来事、自分の行動、そしてそれに対する周りの人の優しい対応を書こうと思ったのだけれど、やめやめ。

今日も胸がふさがれるような気分で、席を立つたびに倒れこみたい気持ちになったけれど、無理に明るめにふるまってみた。ため息もなるべく我慢。話すときは声をしっかり出して、笑顔を見せるように心がけて・・・、そして夜になって独りになったら、どっと疲れが出る。実際、家に帰って靴を脱いですぐ、しばらくその場で横になった。スーツ姿のまま、床の上で。

楽しいことがないとやっていられないので、今度の土曜日に楽しみな予定を無理矢理入れた。mioとドライブに行くのだ・・・って、困ったときはmioとジュンピィさんに頼ってばかりだ。

心配は無用。苦しい気持ちは長くは続かないはず。
昨日の文章と今日の文章は結局つまらなくなったな・・・。

4月11日

2006年4月11日
母親が、胃ガンなんだそうだ・・・。

母親本人によると、最近はいい薬が出ているし、「日をおいて検査を2回したら2回目のほうがガンが小さくなっていた。」とのこと。それなら深刻に考える必要はないのだろう。
しかしそうは言っても、ことあるごとにこのことを考えて職場でも自室でもため息ばかり。
ささいなことで苛立つし、悲しくなる。こんな態度では、周りの人たちに対しても申し訳ないと思う。

昨日の夜、ジュンピィさんと食事をした。
ジュンピィさんは僕にとって数少ない、弱さを見せられる相手で、この日はジュンピィさんに向かって「疲れたよ。」と何度も言ってしまった(ジュンピィさんも大変なのに)。

疲れている中での唯一の救いは、ジュンピィさんを始め周りの人たちが優しい、ということ。

今日はここまで。
この話、続けたいような、やめておいたほうがいいような・・・。
そうか、自分はT教授のお役に立ったことがあったのか・・・。
D氏の話が終わると、男の目は自然にうるみ始めた。
過去、自分が大好きだった人のために何かしてあげたことがある。その事実でどれだけ救われることか。男はT教授にお礼を言えなかった後悔がかなり癒されたように感じた。

この男はネット上で日記を書くという習慣があった。日記と言っても、単に自分の生活を書くだけではなく(この男の日常に興味がある人は極めて少数だろう)、世の中をなるべく肯定的にとらえ、ほら、世界はこんなに素晴らしいじゃないですか、ということを伝えたいと常々思っていた。
もっとも、読む人にその方針が伝わっているかどうかは大いに疑問であったが。

この男は世界を肯定的にとらえるのだけれども、しかし、自分のことだけは肯定的にとらえなくてもいいだろうと考えていた。自己愛主義に走るのは好きではない。自分に関してだけは否定的な話を書きたい。
たとえば、この男が買ったばかりの新品の服を着て某所へ出かけたとき、「それ、古着屋で買ったの?」と言われたとか、そんなことを書きたい。
この男はそんな考えを持っていたので、自分の善行を人におおっぴらに言うのは少し美学に反してしまう。だから、男が好きな人の役に立てたことを日記に書くときはどうしても変則的にならざるをえない。

そしてそれは・・・、こんな形で日記になるのだった。

無題その2

2006年4月8日
男が卒業して5年以上たったある日のことだ。男は学生時代の友人D氏と飲むことになった。D氏もT教授の講義を受けていて、しかもD氏は男のT教授への想いを知っている。話はT教授のことになった。

D氏はおもむろに、「そういえばI(その男の名)はT教授にノートを貸したことがあったよね。」と言い出した。
んん?何のことだ?自分がT教授にノートを貸した?
男は全く意味が分からず、話を促した。

D氏の話によると、こういうことらしい。
あるとき、T教授は自分の授業の資料をなくしてしまい、困っていた。思案に暮れて理学部棟の自分の研究室を出て、廊下でたまたまD氏を見かけた。T教授はD氏が自分の講義を受けている学生であることを覚えていたので事情を話し、「自分の講義を真面目に聞いている学生がいたら、その学生からノートを借りたい。」と言った。
D氏は男がT教授の講義を真面目に聞いていることを知っていたから、T教授に「それなら1人知っています!」と答え、寮で男からノートを借り、T教授に渡した。T教授はそのノートを見て不備をおぎない、ノートはまたD氏経由で男のところへ戻った。

男はD氏からその話を聞いても全然記憶がよみがえらず、本当にそんなことがあったんだろうかと半信半疑なのだが、D氏がそんな嘘をつくはずがないのだから本当のことなのだろう。

続く。

無題

2006年4月7日
ある男が学生だったときの話。

その男は、不真面目な学生だった。「講義はサボるためにある。」と豪語し、それを有言実行していた。講義を受けないのだから当然ひまで、学生寮でひたすら麻雀と読書ばかりしていた。他の寮生に向かって「みんなのためにこうやって寮で留守番しているんだよ。」とうそぶく、そんな日常だった。

そんな怠惰なこの男が本気で取り組んだ講義が1つだけあった。T教授の講義だ。
T教授の講義は、内容が面白かった。理論生物学の講義で、知的好奇心が満たされ、その上T教授の人柄も素敵だった。ほんわかとした語り口なのに全然眠くならず、むしろ引き込まれる。

T教授の講義はなぜか1時限目に行われることが多かった。
寮で怠惰な生活を過ごすこの男にとって1時限目に間に合うように起きるのは苦痛で、事実、他の教授の講義には遅刻することが多かった。しかしT教授の講義にだけは1回も遅刻しなかった。もちろん、欠席も途中退出もしない。いつも教室の最前列に陣取り、T教授の発言を一言も聞き漏らすまいと気合をいれ、板書も完璧な形でノートに写す。
T教授の講義に限っては、この男は模範的な学生と言ってよかった。

この男は、T教授の講義を1年次と2年次に受けた。3年次になると専門の数学の授業ばかりになり、必然的に、T教授と顔を合わせる機会は無くなった。理学部棟でたまにすれ違う程度になった。

本来なら、2年次の年度末にでもT教授の部屋にうかがい、ご挨拶をしておくべきだったと思う。充実した講義が聴けて幸せだったことをT教授に伝えれば、教授も喜ぶだろう。
しかし、当時はお礼を言いに行くという発想がなく、T教授に想いを伝えられないまま卒業してしまった。
今ではT教授のほうも勤務先の大学が変わり、簡単には連絡がとれない。仮に連絡をとったとしても、今からでは唐突すぎてT教授を戸惑わせる可能性が大だ。
なぜ、あのとき一言でもお礼を言っておかなかったのか・・・。この男はT教授にお礼を言えなかったことを今でも深く後悔している。

続く。

ゴメンネの

2006年4月4日
4月。新入生や新入社員と出会う季節だ。
新しい人を受け入れる側も、逆に新しく所属が変わる側も、自己紹介する機会が増える。

自己紹介といえば、今年で入社5年目になる人はこんな自己紹介をすると少し笑いがとれる。
「わたしは入社してゴメンネの・・・、間違えた、入社5年目の○○です。」
僕もこのギャグを使いたくて使いたくてしかたがないのだけれど、この4月で入社7年目になってしまった。もうこのギャグを言う機会は無いのかしらん。

そんなことをちょっと前から考えていて、周りの人にこの話をしてみた。すると、「それなら、入社にこだわらなくてもいいじゃん。たとえば『この部署に来てゴメンネの』とか言えば。」と言われた。なるほど、かしこい。
「この部署に来て」というのはあと4年たたないと使えないけれど、今から4、5年前に始めたことを思い出して、それを使って「ゴメンネの」と言えばいいわけだ。

4、5年前か・・・、何があっただろう?
これといって大きなことはなかったけれど、その頃から少しずつ怠惰になっていった気がする。その頃を境に、身の回りのことを面倒に感じてしまうようになった。そうだな、これでゴメンネのって言ってみるか。

「怠惰な生活をしてゴメンネのまむです。」

あ、あれ?これってただのダメ人間宣言。

初恋の話、後編

2006年4月2日
告白した後も、きーちゃんとの関係は変わらなかった。
中学を卒業し、高校は別々。市の吹奏楽サークルでときどき会うことはあったけれど、何も進展しなかった。高校を卒業して2人とも地元を離れてしまい、そして会えなくなった。

きーちゃんと最後に話をしたのは、成人式の会場でだった。お互いの近況を話し、それが一区切りつくときーちゃんは僕の連絡先を知りたいと言い出した。もちろんすごく嬉しくて、大学寮の電話番号と住所を教えた。当時は携帯電話を持っていなかったので、連絡先といえば寮の電話しかなかったのだ。ただ、その電話には1つ問題があった。それは寮の電話は寮生全員の共用だったということだ。自分以外の寮生が使っていれば他の人は使えないし、また、寮に電話をかけても電話のそばに誰もいなくて、誰も電話を受けないということがよくあった。
そんな事情があって・・・、寮の電話できーちゃんと話すことはなかった。僕に電話をかけたことがあったのかどうかさえ不明。
今では、別にそれが悲しいというわけではなく、やるせないわけでもなく、ただ、そんな確かめようのない過去があるのも悪くないんじゃないかな、と思える。そう思えるようになるまで少し時間がかかったけれど。

あの成人式から8年たった。今では、学校帰りの告白と成人式について、次のように考えている。
学校帰りにきーちゃんのほうからああいう話をしたのは、僕の気持ちを確かめたかったのではないか。あの頃の僕は行動や態度できーちゃんへの想いがバレバレだったのに、言葉で気持ちを伝えようとはしなかった。だから、きーちゃんは僕の気持ちをきちんと確認したくて2人で帰ろうとしたのだと思う。
成人式のほうはきーちゃんの真意は分からないけれど、あれは自分がアホすぎる。こちらもきーちゃんの連絡先を聞けばよかったのだ。そしてこちらから連絡をとればいい。そうせずに連絡を待つだけだったのだから、当時の自分は本当にアホだ。

今ではきーちゃんのことを考えることはあんまりない。また、当時と今とでは人のどこに惹かれるかが違うので、今でもきーちゃんのことを好きかと聞かれるとそれはちょっと違うんじゃないかと思う。もちろん嫌いではなくて、どこかで元気にしているといいなあ、なんて思うけれど。

ここを読んでくれている人も、どこかで誰かに、優しい気持ちでときどき想われたりするのかもしれません。ね、きっと。

初恋の話、前編

2006年4月1日
今日はエイプリルフールだけれど、以下の話はすべて実話です。

前回のバトンで初恋の話を少しだけ書いた。
>初恋覚えてる?
>→覚えている。きーちゃんって子。学校帰りにきーちゃんが「好きな人いる?」って聞いてきたので、「きみ。」って答えておいた。

>まだ好き?
>→嫌いではないなあ。でも、今は別の人のことをよく考える。初恋から10年以上もたっているのだから、ねえ。

この初恋の話を詳しく書いておきたいと思う。

小学生・中学生のとき、きーちゃんという同級生がいた。きーちゃんのことが気になるようになったのは中学生の頃だった。

きーちゃんと僕は同じ部活に入っていた。吹奏楽部で、きーちゃんはフルート、僕はオーボエだった。演奏をするとき、隣同士で座るのだ。きーちゃんのどこに惹かれたのかは、うまく説明出来ない。笑顔が可愛らしかったことや、無邪気で純粋な性格だったこと、フルートを吹く姿が素敵だったこと、その3つは確かなのだけれど、それですべてを言い表せているとは思えない。

さて、ある日のこと。部活を終えて帰ろうとしているときだった。靴箱から靴を取り出そうとしていると、他の吹奏楽部員が4、5人一緒になってやってきた。その中にきーちゃんもいて、きーちゃんのほうから僕に声をかけてくれた。
「ねえ、一緒に帰らない?」
ものすごく驚いた。願ったりかなったりだ。きーちゃんの周りにいた、他の部員の中には「じゃあ、あたしも一緒に行こうかな。」なんて言った人もいたけれど、さらに別の部員に「2人にさせなよ。」とか言われて(すごくありがたい一言だった)、きーちゃんと僕とで帰ることになった。
お互いの家は近くではなかったけれど、学校から家への方向が同じだった。

2人で並んで歩き、ちょっと会話が途切れたとき、きーちゃんはこんなことを聞いてきた。
きーちゃん「ねえ、好きな人いる?」
ちょっとびっくりしたけれど、とっさに「うん。」と答えた。内心は大慌てで、どうしよう、どうしよう、誰のことなのか聞こうとするに決まっている、なんて思った。
案の定、きーちゃんは質問を続ける。
きーちゃん「同じ学年の人?」
僕「うん。」
きーちゃん「もしかして吹奏楽部?」
僕「うん。」
きーちゃん「じゃあ○○ちゃん?」
僕「違う。」

きーちゃんは一人一人名前を挙げていき、僕はそのたびに「違う。」と答えた。条件に合う女の子を全員挙げ、それをすべて否定されたきーちゃんは、
「じゃあ誰?」と聞いた。
数秒の間があって、思い切って・・・、
「きみ。」
それを聞いたきーちゃんはニッコリした。

気分だけはふわふわして落ち着かなくて言葉がうまく続かず、告白直後は黙々となってしまった。数分後、交差点へと着いた。僕の家に行くにはその交差点を左折、きーちゃんの家へは直進。
「じゃ、また。」とか言いながらそこで別れた。

家に帰ってからの僕は着替えもせずに自室で仰向けに寝転がり、足をバタバタさせた。あー、言っちゃったよ、「じゃあ誰?」「きみ。」「じゃあ誰?」「きみ。」・・・。バタバタ。

きーちゃんとは、その翌日、学校の廊下ですれ違ったときにお互い意味深な笑顔を交わしたが、しかしそれだけだった。当時、群馬の片田舎の中学生は「付き合う」という概念が無く、自分も例外ではなかった。
告白以降も関係は何も変わらず、お互い同級生であり、吹奏楽仲間だった。

長くなってきたので、以下続く。
G-darkさんのところで紹介されていたバトンが面白そうだったので、僕も答えてみることにした。長いので、時間のあるときにでもお読みください。
では、始まり始まり〜!

★。、:。.:・’゜☆。.:・’゜★。、:。.:・’゜☆。、:。.:・’゜
       
見た人は強制的にやらなければいけないバトンです。
ここまで読んだ方は諦めてください。
やらぬとすれば、債務不履行として、訴訟します。

★。、:。.:・’゜☆。.:・’゜★。、:。.:・’゜☆。、:。.:・’゜

■ステータス
HN
→まむ、レブリ。

年齢
→28歳。

職業
→なんちゃって編集者。

病気
→感情量過多。胃腸虚弱。

装備
→眼鏡。装備すると視力パラメータがなんと0.4から1.2に急上昇!

性格
→自分では性格なんて一言では言えないと思うのだけれど、人からはマイペースとか気分屋とか言われる。

口癖
→人から話しかけられると「ん〜。」。即答したほうが賢く見えるのに。

靴のサイズ
→26.0。

兄弟
→姉が一匹。

ペット
→なし。でも大家さんが放し飼いにしている猫と仲良し。

■好きなもの

色 
→黒系統。

番号
→28。特に縁のある数字ではないのに、何か好きな数字をあげろと言われると28と言ってしまう。野球部のユニフォームも背番号を28にした。

動物
→一番興味をそそられる動物は人間。なんでこんなに個性があるのか、ねえ。

飲み物
→炭酸飲料以外ならなんでも。

ソーダ
→炭酸はイヤだって。


→清水義範の「神々の午睡」。でも人に読ませてもあんまり面白がられないみたい。


→花はよく知らないけれど、梅の匂いはいいね。

■質問

髪染めてる?
→いいえ。染めたがる人の心理がよく分からない。

髪の毛巻いてる?
→野球部の活動再開に合わせてバッサリ切ったので、今はすごい短髪。巻きようがない。

タトゥーしてる?
→なし。やだよ、タトゥーなんて。

ピアス開けてる?
→痛そうだからヤダ。

カンニングしたコトある?
→忘れもしない、小学2年のときに1度だけ。

お酒飲む?
→今は3日に一度で落ちついている。外で飲むと高くついてしまうので、自宅で缶ビール1本+きつい酒をがぶ飲みし、ベッドに倒れこむ。

ジェットコースター好き?
→あんまり乗ったことないけど、それなりに。

どこかに引っ越しできたらな〜と思う?
→好きな町が多すぎるし、でも今の場所も好きだし・・・。狭い部屋だから引っ越したいけど、位置はいい。
好きな場所というと、故郷がそうだし、他に旅行先で気に入った町も多々あって、そういうところに住めたら楽しいと思う。浜松・高知・金沢・松江・京都などなど・・・。

もっとピアス開けたい?
→痛そうだからヤダって。

掃除好き?
→散らかっていても気にならないので、好きとは言えない。でも組合事務所だけはきれいにする。

丸字?どんな筆記?
→力強く、大きな字。自己主張の強い文字。

ウェブカメラ持ってる?
→いいえ。

運転の仕方知ってる?
→はい。

携帯何?
→vodafone。

コンピュータから離れられる?
→数日間は離れても平気。

殴り合いのケンカしたコトある?
→ある。男の子だったら、子供の頃にするでしょ。

犯罪犯したコトある?
→いきなり、きついこと聞くなあ。法律には詳しくないからなあ・・・、知らずに罪を犯したこともあるかもね。
ところで、犯罪を犯すって重言じゃない?

お水/ホストに見間違えられたコトある?
→ない。

ウソついたコトある?
→あるけど、ここ数年はない。正直に生きようと決めてからは嘘はついていない。答えにくい質問に対して答えないことはあるけど、嘘をつくことと伏せることは違うもんね。

誰かを愛したコトある?
→当然。

友達とキスしたコトある?
→はい。同性はほっぺたまでなら許す。

誰かの心を弄んだコトある?
→それはない。

人を利用したコトある?
→悩んだ末に、一度だけある。
ちょうど2年前の3月だった。

使われたコトは?
→ある。でもそういうときは、活躍の場を与えてもらっていると考えるようにしている。使われたくないときはきちんと拒否するし。

浮気されたコトある?
→ない。
逆に、彼氏もちの女性が僕と遊ぼうとして、やがて正気に戻って元の鞘に戻った、なんてことなら数回ある。いずれも、僕より年上の女性だった。
僕はいつだってセカンダリィ。

何かを盗んだコトある?
→ない。昔から物欲が無いので。

拳銃を手にしたコトある?
→あるわけなーーい。

■今現在
今着てる服
→上は白のTシャツ、下は灰色のパジャマ。ちょっと寒くなってきたので上も着よう。

今のムード
→ムードと聞いて思い出したんだけど、織田無道どこ行った?

今のテイスト
→せんべいをかじりながらポカリスエットを飲んでいる。

今のにおい
→無臭。

今の髪型
→短髪、黒髪。先々週の土曜日に切ったばっかり。

今やりたいコト
→キャッチボールかな。とにかく野球をうまくなりたい。

今聞いてるCD
→Gontitiの「我流一筋」というアルバム。

一番最近読んだ本
→原田宗典の「人の短編集」。登場人物の人生の一部をうまいこと切り取っている感じ。
 
一番最近見た映画
→DVDで「ラヂオの時間」を見た。監督は三谷幸喜。
ラジオドラマのストーリィを一部いじったらつじつまが合わなくなってしまい、しまいにはとんでもないストーリィになっていくという映画。大笑いした。

一番最後に食べたモノ
→草加せんべい。ボリボリと食べた。

一番最後に電話で喋った人
→会社の内線電話で営業のS谷さんと。

ドラッグ使ったんは?
→ドラッグって、マウスのボタンを押したまま動かすやつ?それとも薬?

地球の他の惑星にも人類がいると思う?
→地球と似たような環境の星があってもおかしくないので、生物はいると思う。それを人類と呼べるかどうかは分からないけど。

初恋覚えてる?
→覚えている。きーちゃんって子。学校帰りにきーちゃんが「好きな人いる?」って聞いてきたので、「きみ。」って答えておいた。

まだ好き?
→嫌いではないなあ。でも、今は別の人のことをよく考える。初恋から10年以上もたっているのだから、ねえ。

新聞読む?
→将棋欄は熟読する。スポーツ面も少々。他の紙面は忙しさとの兼ね合いで、読んだり読まなかったり。

ゲイやレズの友達は居る?
→いない。

奇跡を信じる
→うーん・・・、即答しかねる。

成績いい?
→小学生、中学生のときは学校の成績はよかった。高校生で一気に急降下。
仕事の成績はどうだろ?可もなく不可はあり・・・って、駄目じゃん。

帽子かぶる?
→普段はかぶらないけど、野球をするときはかぶる。

自己嫌悪する?
→それなりに。一時期はたびたび落ち込んでひどかったけど、今は普通。

何かに依存してる?
→特に依存していない。依存って、何かが無くなったら自分が駄目になるとか、そういうことだよね。ちょっと考えてみたけれど、何が無くなっても大丈夫みたい。

何か集めてる?
→本に挟むしおりを集めていた。でも今は特に集めていない。

親友いる?
→mioとrunanは確実に親友。他の友達も親友と言える、かな。

身近に感じれる友達いる?
→ここを見てくれている人には、こちらから一方的に親近感を持っているので、そこんとこよろしく。

自分の字すき?
→まあまあ好き。ただ、読ませる相手によって字の丁寧度が変わってしまうのは我ながら悪い癖だと思う(尊敬する相手にメモを渡すときは丁寧に書き、それ以外の相手には殴り書きに近い)。

見た目気にする?
→ほとんど気にしない。見て欲しいのは中身よ、中身。

一目ぼれって信じる?
→あるね、一目ぼれ。

ビビビ!を信じる?
→うーむ、よく分からない。

思わせぶりははげしい方?
→思わせぶりな言動をとったこともあるけれど、今は極力そんな態度はとらないようにしている。伝えたいことははっきり伝える。

シャイすぎて一歩を踏み出せない?
→がらにもなく、ちょっと詩的な言い方になってしまうけれど・・・、何か背中を押してくれるものがあれば、きちんと前へ進める。
前へ進みたくても躊躇してしまうようなときは、背中を押してもらう。

■自分のこと

よく物思いにふける
→はい。

自分は性格悪いと思う?
→多少はそういう面もあるかもしれないけれど、ものすごく悪いというわけではないと思う。
少なくとも、ここを書いているときは素直な気持ちになっている。

いやみっぽい?
→そうでもないと思うけど、周りの人はどう思っているんだろう?

天使?
→な、なに?何が聞きたいのかよく分からない。

悪魔?
→そうそう、霊長類ヒト科というより冷笑類非道科でねえ・・・って、そんなわけなーい。

シャイ?
→時と場合による。自信の有無によるのかも。自信があることに関しては目立とうとするし、自信のないことをしようとするときはシャイになるよね。

よく喋る?
→全然。お酒が入ったときのみ喋るけれど、普段は無口。

疲れた?
→いや、答える我々よりも、この質問を考えたあなたのほうが疲れているでしょ?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ふー、回答終了。
いくつか補足したい回答もあるけれど、それは今後ということで。
今日はここまで。

併売

2006年3月26日コメント (2)
数日前のこと。営業の手伝いで、辞典の販売をしに、とある高校へ行った。

この時期は書店が学校へ行って生徒たちに教科書を渡すことがあるのだけれど、それと同時に、辞典の販売も行うことがある。その際、書店の人たちだけでは人手が不足するので、出版元が手伝う。出版元も営業部の人だけでは学校を回りきれないので、編集の人も何人か手伝ったりする。そういった連鎖があって、僕も某高校へ行ってきた。教科書を渡す機会に併せて辞典を販売するので、これを併売という。
ヘイバイという単語を初めて聞いたとき、“Hey, buy this dictionary, please.”を縮めたものかと思ったが全然違った・・・なんつって。

僕が行った高校では、併売は多目的教室で行われた。天井が低く、意外と声が響く。調子に乗ってフォルテシモでしゃべった。

併売には、うちの会社だけでなく他の出版社も来る。で、商売敵の人を誉めるのは少し抵抗があるのだけれど・・・、S社のWさんが素敵だった。Wさんは買ってくれた学生に辞典を渡すとき、必ず「頑張って勉強するんだよ。」と声をかけるのだ。そうだよなあ、売ったらそれで終わりではなくて、使ってもらって初めて出版社の喜びになる。

Wさんは50代。S社に入社して以来、ずっと編集の仕事をしたかったのに結局営業一筋になってしまったそうだ。何度か編集への異動希望を出したものの、そのたびに「Wさんは営業に必要な人間だから。」と言われて却下されたそうだ。
そういった話は下手な言い方をしたら自分は営業の能力があるという自慢話になりかねないけれど、Wさんの言い方は嫌味がまったくなく、むしろ悲哀がにじみ出ていた。

普段はS社とはお付き合いがないので、今後Wさんに会えるかどうかは分からない。会うような用事も作れないだろうし・・・、でも、いつかまたどこかで会えたら、と思う。

再開します

2006年3月23日
お久しぶりです、まむです。

日記を書くことをずっと休んでいて、自分でも「どーすんだ、これ?」と思っていたのだけれど、やっぱり復活させることにした。まだ、書くのが面倒な気持ちと、書きたい気持ちの間で揺れているけど、えーい、見切り発車で再開するぞっ。

書くことが「好きでやっていること」から「頑張っていること」に変わってしまうかもしれないけれど、表面上は何も変わらず、これまで通りの日記にする。今までと同じく、自分の思考・嗜好・そして愚行を書き綴っていこう。

とかいいつつ、本格的な再開は数日後になる。
なぜなら、明日群馬へ行かなければならなくなってしまったからだ。群馬の太田というところに叔母さん一家が住んでいて、そこに父方の祖母がいたのだけれど亡くなってしまい・・・、明後日告別式。なので、群馬でもろもろ済ませて、数日後にこちらに戻ってから再開だ。

祖母について思い出すのは、先に亡くなった祖父と仲がよかったことと、会いに行くと必ずニコニコと出迎えてくれたこと。この2つが印象に残っている。祖母が亡くなった実感がまだ全然なくて、太田へ行ったら優しく出迎えてくれそうな錯覚を起こすかも。



では、数日後にお会いしましょう。
ほぼ1週間、更新をしていなかったまむです、こんばんは。
今週は書く気が起きなかった。

えーとですね、ちょっと言いにくいのですが・・・しばらく更新を休むことにした。この日記書きは遊びでやっていることのはずなのに、このところ楽しめていないのだ。別に猛烈に忙しいわけでもなければ疲れきっているわけでもないのだけれど、なぜかやる気が起きない。

無理矢理続けるよりも休んだほうがいいんじゃないか・・・。うん、休もう。

日記をつけるのは好きだから、このように書きにくい気分になってしまうのはほんの一時的なものだと思う。3月末になったら野球部の活動が始まったりなど、気分が変わってくるので、その頃には再開させられるはず。

ということで、3週間ほど休みます。ではまた。zzz・・・。

映画の話

2006年2月26日 映画
久しぶりに、映画の話。

今年に入って、映画を4本観た。
・博士の愛した数式
・The 有頂天ホテル
・ALWAYS 三丁目の夕日
・県庁の星
見てのとおり、話題になった(または話題になっている)映画をチェックしただけだけれど、どれも面白かった。以下、簡単に感想を書いておく。

● 博士の愛した数式
博士に向かって、大木こだまふうに「そんなやつおらへんやろ〜。」とつっこみたくなってしまった。でも、この映画をきっかけに数学が好きになる人が増えればいいな。
博士と家政婦さんとがお互いを想う気持ち・・・それがまっすぐに伝わってきて、いい。

● The 有頂天ホテル
さすが三谷幸喜。組み立てが実に緻密だ。計算されつくされている。評判通り面白かった。ところで、この中の歌が♪ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ アンドレ♪って聞こえていたんだけれど、アンドレじゃなくてand俺だったんだね。

● ALWAYS 三丁目の夕日
町並みや車を見て、当時の日本は本当にこんな様子だったんだろうなあと思った。どうやって再現したんだろう?
映像だけでなくストーリィもよかった。車の中のシーンで泣いた。万年筆を奪うところ。人の大事なものを奪うシーンには弱い。

● 県庁の星
何かをきっかけに主人公が変わっていくというのはよくあるパターンなんだろうなと思いながらも、楽しめた。



ところで、映画の手法で1つ気付いたことがある。それはシーンが切り替わるときのこと。
たとえば切り替わる前のシーンをA、切り替わるあとのシーンをBとすると、映像はAのままなのに音声だけが先行してBの音声が聞こえてくることがある。そして、少しタイムラグがあって映像もBになり、Bの音声と映像がピッタリ合う。そんな手法があるようだ。

この手法を使うと、観る人を「おや?」と思わせて、次のシーンへの興味を持たせることが出来る。と同時に、Aの最後の音声をかき消すことで、Aの余韻を生む効果もある。
ということなんだと思う。多分、きっと、おそらく。

至福のひと時

2006年2月23日
毎週木曜日の夜6時半から、組合活動が行われる。重要な案件があると曜日の変更があったり昼休みに打ち合わせをしたりすることもあるが、基本は木曜日の夜6時半から。

6時10分くらいになったら組合事務所の鍵を受付まで取りに行き、それを使って事務所のドアを開ける。
去年の改選直後に「今期のメンバの中で、おれっちは『鍵を握る男』を目指すぜ。」と意気込んでみたものの、我ながら何をどう勘違いしたのか、事務所の開け閉めに力をいれている。文字通り鍵を握ることは多くなったが、これでいいのだろうか。

事務所に入ると、まずは窓を全開にして空気を入れ替える。
1分ほどたったら窓を閉めてエアコンのスイッチを入れる。机の上に書類やお菓子など先週の活動の残骸があるので、ゴミは捨て、判断のつきかねるものはそのままにしておく。

次に、ほうきとちりとりを使って床を掃く。自分はきれい好きというわけではなく、むしろ散らかり具合なんて気にならないのだけれど、組合事務所だけは不思議と掃除欲(?)をかきたてる。
前の週にビラを配ったり組合集会・大会があったりした場合、コピィ用紙がまだ充分にあるかどうかを確認する。
また、ときには営繕のおっちゃんに連絡して蛍光灯を取り替えてもらったり、外れかけたブラインドを直してもらったりもする。

一連の作業が一区切りついたら事務所内にある流しの鏡を見て少し髪をいじる。組合執行部には妙齢の女性もいるので多少は外見に気を遣いたくなるのだ。頭の片隅では自分のやっていることを滑稽に思うのだけれど、見た目が気になってしまうのも事実。

気が済むと適当に椅子に座り、準備した書類に目を通して今日の活動に思いを馳せる。
そうこうしているうちに他の執行部員がやってきて活動が始まる。

このように、木曜日の夜6時10分から執行部員が集まる6時半までは、穏やかに過ごせる至福のひと時だったりする。あ、でも、他の人が入ってくるのも大歓迎。

2月20日

2006年2月20日
2月20日
今朝会社に行くと、机の上にイカの怪人が置かれていた(写真参照)。何これー!?
僕の後ろに座るTさんに聞いたところ、このイカ怪人は金曜日の夜に忽然と現れたらしい。誰が何のためにこれを置いたのか、まったく想像がつかない。

イカ怪人の左肩に乗せられていたお菓子はおいしくいただいた。
どなたにお礼を言ったらいいのか分からないけれど、御馳走様でした(もしかしたら、これを置いた人は他の人の机に置くつもりで間違えて僕のところに置いたのかもしれない。だとしたら僕がお菓子を食べちゃ駄目だけど、気にしない)。

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昨日、部屋の片付けをした。

僕の部屋は狭い。部屋の角にベッドがあり、これが無ければ部屋を広く使えそうだけれど、これをどこかへやってしまうわけにもいかない。
はあ、広い家に住みたい。部屋は少なくとも2つ欲しい。外には駐車スペースが欲しい。さらに言えば庭も欲しい。庭には2羽、裏庭には2羽のにわとりがいるようにしたい。なんとなく。
そういう家に住めるようになるにはあと何年かかるんだろう?

通勤時間・家賃・広さのバランスを考えると、今は広さが不満だ。本がどんどん増えてきているので本棚を増やしたいし、衣類も何とかしたい。ワイシャツとスーツが増えてきた。

片付けをしながら、清水義範のエッセイにこんなことが書かれているのを思い出した。
それによると、すべてのものはゴミになる機会をうかがっているそうだ。たしか、清水の奥様が言ったセリフとして紹介されている。
ゴミになりやすいものといえば、たとえば新聞。毎日読むのに、次の日になったらもう処分すべきものとなる。
飲み物の空き缶もそうだ。中身を飲む前はゴミではないのに、飲み干した瞬間にゴミと化す。

そんなことを考えつつ新聞をしばり、机の上や枕元に置かれた本は読みかけを除いて本棚に置いた。雑誌はこの前整理したばかりだったのでまだしばるほどではなく、とりあえず棚の上に置くことにした。
ぬおー、これもやがてはゴミになるのだ。そう考えると、こうして棚に上げる動作はやがては無駄になるんだよな。まったくもう。

本当は、部屋が狭いのはものが増えてきただけでなく、自分のせいでもある。何を隠そう、僕は整理が下手なのだ。必要なものと不要なものの区別、もののまとめ方、あいている空間の使い方・・・、どれをとっても下手だ。でもそれを無視して部屋の狭さにだけ文句を言ってみる。

こうして、自分の整理下手を棚に上げながら雑誌を棚に上げるのだった。



慣用句をオチにするのも飽きてきたな・・・。

2月18日

2006年2月18日
夕方、野球部の雑用をこなした。大会の出場申し込みだ。この雑用は簡単なことだけれど、責任は重大だ。

この話を僕に持ってきたKさんによると、他の人はスキーに行ったりして都合がつかなかったそうで、それで僕にまわってきたということだった。
そうか、普段は他の部員がこういう雑用をやっているわけだ。こういう雑用の存在に今までまったく気付かずに野球部の活動を楽しんでいた。野球部を運営していくために他の部員がどういうことをしているのか、もうちょっと興味を持たないと駄目だな。

野球といえば、プロ野球は今年から二段モーションに対して厳しくなるそうだ。二段モーションというのは、投手がボールを投げる際に打者のタイミングを外すために途中で動きを止めることだ。もともと禁止されていたのに、これまではなぜか黙認されてきたらしい。
二段モーションが駄目なら三段モーションで投げればいいじゃない、と思ったけれど三段モーションももちろん駄目。

この結果、慣れないフォーム改造に取り組む投手よりも打者が有利になるのではないかと言われているようだけれど、はたして。

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