岩手 その4

2005年4月2日 旅行
一関では厳美峡という渓谷を見たかった。
これは磐井川の上流に位置する渓谷。

ものすごく古いバスに乗り(バスターミナルにそのバスが入ってきたとき、えっ、これ現役なの?って思った)、厳美峡に到着。
少し歩き回った後、お団子を食べて一休みしていると、そこへ家族連れが入ってきた。若い夫婦と小さな子供、計3人。
その子供の前にお団子が出てくると、子供は大興奮して歌を歌いだした。それがとってもかわいくて、微笑ましかった。

厳美峡近くを探検中に妙な橋を見つけた。妙といっても外見上は特に不思議はないのだが、その橋の横に書かれていた説明が面白かった。
普通、橋というと骨組みに鉄筋を使い、その周りをコンクリートで固めるのだが、その橋は鉄筋の代わりに竹を使っているのだそうだ。その橋の名前は忘れてしまったが、かつてはキョウダケ橋と呼ばれていたという。なぜなら、その橋は何度かけても翌日には流されてしまい、かかっているのは「今日だけ」だから・・・って、ほんまかいな。

厳美峡の近くに一関博物館というのがある。
時間が無ければ見学しなくてもいいかな、なんて思っていたのだが・・・、時間があったので行ってみた。
行ってみてよかった。というか行かなきゃ損。厳美峡で見かけた子供じゃないけど、今度は僕が大興奮。
一関博物館は和算のコーナがあったのだ。江戸時代の日本人が数学にどのように取り組んできたか分かるようになっていて、たとえば算木の使い方とか、寺子屋での教育とか、神社に奉納された問題とか、そういったものが展示されていた。

歩き疲れてホテルで就寝。翌日はこの旅行の最大の目的地、平泉へ・・・。
続く。

岩手 その3

2005年3月30日 旅行
3月20日、日曜日。
起きてまず、ホテルにおいてあった前日の朝刊を読んでみた。岩手日報という地方紙だ。そこに載っていたのは「情報公開度、岩手県が第一位」とか「花巻の小学校に通う四つ子が卒業」とか「小学校の校長の異動」とか、地元の話ばかりだった。どの記事も興味深かった。

ホテルをチェックアウトして、盛岡城跡へと歩いた。ここは、天守閣や二の丸などの建物は残っていないが、当時の石垣が残っている。これが非常に立派だった。
歴史をしのびつつウロウロ歩き、次に白龍(パイロン)というお店へと移動。

白龍はじゃじゃ麺の老舗として有名らしい。
じゃじゃ麺はゆでたうどんの上に味噌を乗せて(汁は無い)、その上にラー油・酢・にんにくを乗せてよくかき混ぜて食べる。麺を食べた後はその皿に卵を落とし、店の人に熱々のスープを入れてもらい、またラー油・酢・にんにくを入れてそれを飲む。このスープはチータンタンというそうだ。
じゃじゃ麺は少し苦味のある味だった。おいしいというわけではなかったけど、不思議なことにもう1度食べてみたいと思わせる味だった。くせになる味とでもいうのだろうか。チータンタンのほうは、これは文句無しにおいしかった。
にんにくの効果なのか、体がぽかぽかと温かくなった。

盛岡市内を散歩し、「ア歯科」という名の歯医者さんを見つけて嬉しくなったり(あしかって、おい)、大正時代に建てられた番屋を見たりしてウロウロすること数時間。
盛岡を満喫して次の目的地、一関市へ向かった。

東北本線の電車は、ボタンを押してドアの開け閉めをやるようになっていた。つまり、駅に停まっても乗客の乗り降りが無ければ外の空気が車内に入ってこないということだ。
僕はボタンを押さないとドアが閉まらないということを知らなかったため、電車に乗り込んでドアを開けっ放しにしたまま席に座ってしまい、別の人がドアを閉めてくれた。ちょっと失敗。
うーむ、そうすると東北の人が関東に来たりとか、あるいはさらに南の地域にいって電車に乗った場合、ドアを閉めるボタンが無くて慌てたりするんだろうか。

一関に着いたのは午後2時頃。
続く。

岩手 その2

2005年3月26日 旅行
とおの昔話村を見た後、大工町の通りを歩いてみた。この通りの歩道はアスファルトではなく、木が敷かれている。ゴミ箱も木製で、コンクリートとは全然違う優しさややわらかさを感じさせる街並みだった。

この日は夜遅くに遠野から盛岡に移動した。釜石線で花巻方面へ引き返し、そこからさらに北へ。
釜石線に乗っているとき、車内放送がほかの路線と違うことに気付いた。どういうことかというと、次の駅が近づくと何か外国語っぽいことを言っているのだ。たとえば、「次は〜、グラーノイ柏木平〜、柏木平〜。」という具合。
むむむ、グラーノイ?これは何だ?近くのスキー場の名前でも言っているのか?それもヘンな話だけど・・・。
あとで調べたところによると、釜石線はそれぞれの駅にエスペラント語で愛称をつけていて、それで呼んでいるそうだ。グラーノイというのは団栗という意味で、柏木平のイメージに合わせている。この他、遠野はフォルクローロ(民話)、新花巻はステラーロ(星座)などなど、工夫した愛称が付けられていた。

盛岡で遅い食事をして(隣に座った5人組の会話が方言丸出しで面白かった)、この日は就寝。

続く。

岩手 その1

2005年3月24日 旅行
岩手旅行について。

3月19日、土曜日。
この日の最初の目的地は遠野市だった。柳田國男の「遠野物語」で有名だ。僕は「遠野物語」を読んだことは無いけど、遠野の博物館が面白そうだったのと、ガイドブックののどかな雰囲気がよさそうだったのとで行ってみることにした。

上野で新幹線に乗り、新花巻で釜石線に乗り換え。遠野着がちょうど正午くらい。

駅を降りると寒さが身にしみる。1月に行った北見ほどの寒さではなかったが東京に比べると段違いに寒い。

食事をして、伝承園・カッパ淵・遠野博物館の順に回った。
この3つの中では博物館が一番よかった。そこは遠野の産業や文化が分かるようになっているほか、遠野に伝わる昔話を映像で見られるコーナがあり、どちらも楽しかった。昔話のほうは「まんが日本昔話」のような感じ。「まんが日本昔話」というアニメがあったこと自体、今では昔話だけど。

博物館を出て、今度は「とおの昔話村」へと向かう。てくてくと歩いていると、「あの、ちょっとすみません。」途中で人に話しかけられた。話しかけてきたのは40代くらいの女性2人。「はい?」と答えると、「博物館へはどう行くか分かりますか?」と聞かれた。そこから出たばかりだったので簡単に答えられた。
その2人と別れた後ちょっと考えたのだが、僕は普段から人に道を聞かれたり電車の乗換えを聞かれたりすることがわりと多いような気がする。なんでだろうなあ。見た感じ別に好青年っぽくはないし、道に詳しそうな顔をしているわけでもないんだけど・・・って、道に詳しそうな顔ってどんな顔なんだか。

続く。

中州にて

2004年9月30日 旅行
昨日に続き、九州の話を少々。
中州の屋台でたまたま触れ合った家族が温かくて、印象に残った。今日はその、Oさん一家の話。

9月19日の夜、僕は福岡市内をてくてくと歩いていた。
目指すは中州の屋台。「中州の屋台でおいしいものを食べよう大作戦」を遂行すべく、作戦実行地域へ向かって歩いた。

目的地へ着くと、まだ夜の7時頃だったのに既に人がいっぱいだった。川に沿って屋台が何十軒と並び、人気のある屋台ではお客が行列を作って自分の順番を待っている。
僕も列に並び、待つことしばし。やがて席があいて、座ることが出来た。

焼き鳥の盛り合わせとビールとラーメンを注文し、また待つ。お客の座る席と席の間隔はとても狭く、近くに座った家族の会話がよく聞こえる。
僕の隣りに座っていたのは30代後半くらいの奥様。その向こうに旦那様。さらにその隣に高校生くらいの少年(=ご夫婦の息子さん)。少年はあまり楽しそうではなかったけど、母親に「そのラーメン、食い切れなかったら俺が食ってやるよ。」なんて言う優しい少年だった。

やがて、注文したものが来た。焼き鳥もラーメンも美味で、順調に作戦完了と思い満足し始めたところで、隣りの家族が興味深いことを言い始めた。
旦那様が追加注文したエノキ(エノキダケを豚肉で巻いて火であぶったもの)がおいしかったようで、旦那様が興奮気味に「これ本当にエノキ?こんな旨いエノキ食ったことないよ。」と言い出したのだ。

ほおお、この屋台のエノキはそんなにおいしいのか。「おいしいものを食べよう大作戦」を実行中の僕としてはお腹がいっぱいでもそれを食べるべきだな。今度いつここに来られるか分からないし・・・、と考えた僕は、思い切って「こっちにもエノキィ!」と追加注文してしまった。
注文した声が隣りの家族にも聞こえ、旦那様がこっちを向き、ニッコリ笑って「このエノキ、旨いですよ。ぜひ食べてみるべきです。」と話しかけてくれた。そこからいろいろ話が弾んだ。

その旦那様はOさんといい、マラソンが趣味だそうだ。翌日(20日)に行われる福岡シティマラソンに参加するために、広島から車でやってきたという。奥様と息子さんは付き添い。
追加注文したエノキ来ないですねえ、なんて話をまじえつつ、30分ほど話をした。旦那様がビールをまた注文すると、奥様は「それで最後にしておきなさいよぉ。」なんて、やんわり注意して、それを見た僕は旦那様の体を気遣う奥様っていいなあ、と思った。

僕が追加注文したエノキは店員に忘れられていたようで、何回か催促してやっと届いた。エノキが届いたのはOさん一家が支払いを済ませて去っていった後だ。
Oさんは、去り際に「エノキ来ませんね。でも、待つだけの価値はありますから。」と言った。
そのエノキ、たしかにおいしかった。Oさんが興奮するのも当然のおいしさだった。エノキと豚肉の間にシソの葉も巻いてあって、噛むと口の中にシソの香りがふんわりと広がる。うっめーー。
お腹いっぱいだったけど、追加して正解だった。

今、Oさんのマラソンの結果が気になっている。どんな結果だったんだろう?

太宰府

2004年9月29日 旅行
昨日、ちょっとだけ太宰府の話に触れた。
それと関連して、太宰府で感じたことを2つほど書いておく。

まず1つめは、太宰府市内の住所のこと。
太宰府市内の住所は、歴史を感じさせるものが多い。

一例を挙げると、こんな感じ↓。
・太宰府市三条
・太宰府市朱雀
・太宰府市都府楼南(とふろうみなみ)
・太宰府市梅香苑(ばいこうえん)
・太宰府市連歌屋(れんがや)

こういうのを見て、おもしろーい、と思ってしまうのは僕だけ?


もう1つ書いておきたいのは、天満宮の近くの売店にいた子のこと。
小学校の低学年くらいだろうか、ちっちゃなエプロンをつけて売店の中をうろうろし、遊んでいるのかお店の手伝いをしているのかよく分からない。そんな様子がちょっとかわいい。
そういう子を見ると、そのお店で買い物をしたくなってしまう・・・、でも結局そこではよさそうなお土産がなくて、何も買わなかったけど。

山梨その2

2004年8月19日 旅行
高校野球の結果を見ていて、ふと思ったんだけど・・・、駒大苫小牧って、「マ」が多い。
コマダイトマコマイ。9文字中3文字がマ。マ率33%!
げに恐ろしき駒大苫小牧・・・。

って、だから何だ、と自分につっこんでおく。

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昨日の続きで、山梨の話。

仙娥滝(せんがたき)へ到着。
仙娥滝は昇仙峡のちょうど中ほどに位置する。昇仙峡はその一帯すべて美しいが、その中でも最大の見所がこの仙娥滝である。

この滝は高さが30メートルもあるそうだ。落ちる水に太陽の光が反射してまぶしい。空気も澄んでいる気がして、何度か深呼吸した。登ってきた疲れが癒される思いだった。

仙娥滝のさらに上に、お土産屋があったので入ってみた。Tシャツがあれば買いたかった。
着ていたTシャツが汗でひどいことになっていて、脱ぎ捨てたくて脱ぎ捨てたくて、代わりにどんなダサいのでもいいからTシャツが欲しかった。
しかしTシャツは置いていないそうで、我慢せざるを得なかった。
水晶細工のアクセサリ類は充実していたが、そういうのは興味無し。
あ、そうそう、同僚にもお土産無し。仕事で遠出した場合は必ずお土産買うけど、プライベートな旅行では同僚にはあんまり買う気がしない。

あっ・・・、これを書いていて思ったのだが、ここを教えてくれた友人にはお土産買えばよかった。しまったなあ。

さて、そのお土産屋の隣にロープウェイ乗り場があった。それに乗ると弥三郎岳に移動出来る。弥三郎岳は標高1058メートルの山で、見晴らしがいいらしい。晴れていれば富士山や南アルプスが見られる。
僕も行ってみることにした。

ロープウェイに揺られて頂上へ行くと、それまでは晴れていたのに、急に雲が出てきて視界が悪くなってしまった。なので、お世辞にも素晴らしい見晴らしとは言えなかった。残念。
僕も日頃の行いは相当悪いようだ・・・。
弥三郎岳では和太鼓の演奏をやっていたが大して面白いものとは思えず、あまり楽しめずにまたロープウェイで降りた。

時刻は1時過ぎ。舞鶴城公園にも行く予定だが、まだ早いな、さてどうするか・・・、と思ってあたりを見渡し、たまたま目に付いたソフトクリーム屋でソフトクリームを食べることにした。
店員さんにお金を渡して白桃ソフトクリームを受け取ると、店員さんはこんなことを言った。
「お客さん、えだまめツアーの人かい?」
え・・・、えだまめツアー?何それ。何かの聞き間違いか?気になる気になる。

しかし僕の口から出たのは、「いえ、違いますけど。」だった。後ろに人が並んでいなかったなら、それは何ですか?って聞いたのに。
謎だ。えだまめツアー。

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続く。

山梨その1

2004年8月18日 旅行
山梨に行ったときの話。念のため、再度昇仙峡のアドレス↓
http://www11.ocn.ne.jp/~shosenky/

3連休のちょっと前、山梨へ行こうかとふと思い立った。
山梨は近すぎず遠すぎず、中途半端な距離で、行くことがない。1度新人研修で行ったことがあるきりだ。あのときは山に登ったり、ボートを2人で漕いだりしたっけ。

山梨なら日帰りで行ける距離だし、史跡でもまわってこようかと思って、友人にその話をしたら、「山梨なら史跡よりも昇仙峡がよかろう。」と言う。ちょっと調べてみてよさそうだったので、そこへ行くことにした。

昇仙峡を勧めてくれた友人からもらったバッグに折り畳み傘と文庫本を入れて、新宿駅で特急かいじに乗る。かいじと聞くとヤンマガの賭博ジャンキィを連想してしまうが、この特急の名前は甲斐路の意味であろう。

甲府駅へ着いたのは午前10時半頃。駅前のバスターミナルでバスを待つ。僕の後ろでバスを待っていたカップルは男のほうが群馬出身らしくて、女の子に群馬弁をいろいろ教えていた。僕も「そうなんさね。」とか言って会話に加わりたかったが我慢した。

このあたりで、帽子を持ってこなかったことを後悔し始める。僕は医者に相談しようかどうしようか迷っているくらいの多汗症で、好天の下、帽子無しで歩いたら脱水症状をおこしてしまうのではないかと不安になった。

水分の補給に注意することにして、バスに乗る。大混雑のバスに揺られること40数分で下車。公式ウェブページでは30分と書かれていたがそれより時間がかかった。混雑のせいか?

昇仙峡は渓谷美で有名な場所だ(といっても、僕は友人に教えてもらうまで知らなかったけど)。
美しい木々や不思議な形の岩、そして渓流。昇仙峡はこういった自然を五感で体験出来る場所だ。渓流に沿って遊歩道があるので、そこを徒歩か馬車で昇ってゆく(または逆に上のほうから降りる)。

昇仙峡口というバス停で下車。ここはその名の通り昇仙峡の入り口だ。
お腹がすいていたので、少し早いけどまずは食事をすることにした。食事の出来るお店にふらりと入り、そば・山菜・ニジマスの塩焼き・御飯を食べた。お店のおばちゃんが「兄ちゃん、先は長いからしっかり食べて行きよー。」と言ってくれた。
せせらぎの音やせみの声が響き渡っていて、夏をしみじみ実感した。

食事を終えて、外へ出る。
長潭橋(ながとろばし)を渡り、渓流に沿って遊歩道を登っていく。
木・岩・渓流・・・。奇妙な形をした岩には亀石とかオットセイ岩とか名前がふってあって、「おー、ほんとに亀そっくりだ。」なんて感心しながら歩き続けた。
歩きながら合唱曲「山のいぶき」を熱唱したくなった(しかし歌詞を途中までしか思い出せなかった・・・)。

ところどころ、遊歩道をそれて渓流までおりられるようになっている。釣りをしている人もいた。
僕も渓流までおりて、水を手ですくってみた。
冷たくて気持ちいい。ここで昔の和歌のパロディとか言いたくなったが、袖ひちて結びし水の・・・、えーと、でも半袖だし・・・、何も思いつかずグダグダ。

そんな感じで上へ上へと歩き、途中、自動販売機を利用して何度も水分補給して、仙娥滝(せんがたき)へ到着。

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今日はここまで。続きは後日。

仙台

2004年5月9日 旅行
(昨日からの続き)
仙台の第一印象は、うーむ、普通の大都市だなあ、ということ。駅前はデパートや銀行がズラリと並び、道幅は広く、整然としている。

松島を歩いた翌日(5月2日)、仙台の某ホテルで朝8時半に起床。前日歩きすぎたため、筋肉痛。

河北新報という新聞を読みながら朝食を摂った。旅行先では地方紙を読むのも楽しみの一つで、その地域で何が話題になっているのか調べるのは面白い。でも河北新報に何が書いてあったのか今では忘れっちまったよ、おい。

少し落ち着いたら、早速行動開始。広瀬川を渡り、仙台博物館へ向かって歩く。
広瀬川といえば、誰かが「ひろせーがわー 流れる八兵衛♪」という替え歌を歌っていた気がする。
歌っていなかった気もする。どっちやねん。
(この歌「青葉城恋唄」が発表されたのは1978年らしいので、このギャグが伝わる人は少ないだろうけど、書いてしまえ。)

仙台博物館では企画物として鑑真展をやっていたが、それよりは常設展を見たいと思った。
常設展では、宮城県に伝わる歴史的に貴重な資料や、陶器・漆器といった伝統工芸品などを見られる。
ここでは、面白いかぶとを見ることが出来た。おでこの辺りに毛虫をあしらったかぶとだ。解説によると、「毛虫は前進するが後退は出来ないので、武士の精神に通じるものがあったのではないか。」ということだった。へんなのー。
仙台博物館は非常に広い建物で、数時間かけて見てまわった。

仙台博物館の次は、青葉城址へ行った。青葉城は通称で、正式には仙台城と言うらしい。
仙台城は小高い丘の上にあって、登っていくのは少し疲れるが、それだけに、そこからの眺めは素晴らしい。
ここには伊達政宗のブロンズ像がある。馬に乗って、街を見おろすかのようだ。政宗も馬も、りりしくて格好いい。
でも本当は戦国期の国産馬はあんなに格好よくなかったんじゃなかったかな。サラブレッドみたいな馬とは全然違うという話を聞いたことがある。
でもまあ、それくらいは目をつぶるか。政宗公は5歳の頃から片目をつぶりっぱなしだったことだし・・・、って、何だこのオチ。
政宗公は天然痘が原因で失明したのであって、目をつぶっているなんて言ったらちょっと違うやん。それにこの像は両目があるし。

仙台からは東京へ戻ったわけではなく、故郷の群馬へ向かった。
途中、小山駅の6・8番ホームで懐かしさがこみ上げてきたのは、自分でもびっくり。

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話の流れ上、次は故郷の話をすればいいんだけど、明日は別の話になる予定。

松島

2004年5月8日 旅行
松島へ行った。

松島。日本三景の一つ。松島湾に浮かぶ島々が美しい。東京からは意外と近く、2時間半程度で行ける。仙台までは新幹線で、そこから先は仙石線だ。恥ずかしながら、僕はこの路線を「センゴクセン」と読んでいた。正しくは「センセキセン」。
仙台と石巻を結ぶので、この路線名なのだろう。

仙石線の松島海岸駅で下車。5月なのに肌寒い。北上した実感が湧いてくる。

駅前で腹ごしらえをし、最初の目的地の瑞巌寺(ずいがんじ)へ向かう。
瑞巌寺は、臨済宗の禅寺である。元々は平安時代の初めに開かれたお寺だが、途中、名前を変えたり規模を大きくしたりし、現在の建物は伊達政宗の時代に作られたものだという。
国宝に指定されている本堂と庫裡(くり)は必見。建物の美しさや細部の彫刻の見事さはうまく説明出来ないけど、ただ時間を忘れて眺めてしまった、とだけ書いておこう。
瑞巌寺にはそのほか、伊達家にまつわるさまざまな資料が展示されている青龍殿もあり、これも見逃せない。歴史に興味の無い人にとってはつまらないかもしれないけど。
瑞巌寺は梅の季節に行くと一番良いらしいが、僕の行った頃はすでに遅かった・・・。伊達政宗が朝鮮出兵の際に持ち帰ったという梅があって、時期を選んで行けば、きっときれいなんだろうなあ。

瑞巌寺の次は、一番楽しみにしていた松島湾周遊船に乗り、景色を楽しむことにする。
松島湾を一周して元の地点に戻る船と、松島から塩釜へ向かう船とがあるのだが、僕が乗ったのは前者。

松島湾にはおよそ260の島々がある。船に乗っていると、島の名前の由来や、その島にまつわるエピソードが、聞けるようになっている。そのアナウンスは標準語でしゃべるか、ベタベタの東北弁でしゃべるか、どちらかにしてほしいものだが、エレベータガールのようなアナウンス弁(?)だった。

船からカモメにえさをあげられるようになっていた。驚いたことに、カモメの好物はカルビーのかっぱえびせんである。
カモメを近くで見たい人は、船内の売店でかっぱえびせんを買い、後部のデッキでえさをかかげるように持って立つと良い。そうするとカモメが寄ってくる。カモメも心得たもので、周遊船の周りばかりを飛ぶようだ。松島湾の周遊船は、みんなカモメを引き連れて走る。
周遊船の乗客は小さな子供を連れた家族が多く、みんな仲が良さそうで、幸福な家族と美しい景色を見ていると自然と穏やかな気持ちになった。心が洗われるとはこういうことをいうのかもしれない。

少しお腹がすいたので、船を降りたあと、何か食べることにする。
松島は国道45号線沿いに海産物を焼いて売る店が並んでいるのだ。イカやサザエやトウモロコシ(は海産物じゃないけど)などがいい匂いで誘ってくる。僕はホタテを一串頼んだ。やわらかくて、それでいて歯ごたえがあり、味も言うことなし。ムハムハ言いながら食べた。

その後、観瀾亭を見たり、雄島(おじま)を散歩したりして、電車が来るまでの時間をつぶす。
松島は悲しくなるほど美しかった。

松島から仙台に戻り、投宿。この日の晩ご飯は名物の牛タン定食で、これもムハムハと食べた。麦飯とテールスープがセットになっているのが一般的らしく、僕が食べたのもそうだった。
(この続きはまた後で)

【旅行4】松江

2004年3月25日 旅行
出雲大社から、松江へ引き返すことにする(鳥取から出雲市へ行く途中、松江を通過している)。
今度は一畑電鉄で出雲大社前駅から松江しんじ湖温泉駅へ向かうルートをとる。一畑電鉄は宍道湖の北側を通り、JRの松江―出雲市間は宍道湖の南側を通っているので、このルートで宍道湖の景色を南北両側から楽しむことが出来る。

松江市に着いたのは夕方の4時半ごろ。すぐに旅館で休むのも味気ないと思い、市内を散歩することにした。
まず目についたのは市バス。赤い車体で、ちょっとレトロなムードをかもし出していてお洒落だ。後で調べたら市バスに種類があり、その中の「ぐるっと松江レイクライン」というバスだった。

ちょっと歩くと島根県庁前で銅像を見つけた。日本のスポーツの発展に貢献した岸清一の像だ。渋谷に岸記念体育館があるけど、あの人は松江の出身だったのか。ふむふむ。

この日は温泉にドップリとつかり、名産のシジミを食べ、早めに就寝。

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翌朝、松江城へ行く。江戸幕府が成立した頃、堀尾吉晴が築いた城だ。
松江城の敷地内を歩いていると、白い洋風の建物があったので立ち寄ってみた。建物の隣には立看板があり、その建物の名前が興雲閣であるということと、山陰に天皇をお招きするために、明治時代に建設されたということが書かれていた。現在は松江郷土館として、松江に関する、古くから伝わる資料が展示されている。
中に入って展示物を興味深く見ていると、一つ気付いた。あれ・・・、不昧公(ふまいこう)の肖像画だ。不昧公の話は京都で初めて聞いた。その人とこんなに早く再会(?)するとは。
不昧公とは、不昧流茶道を大成した茶人である。茶道で有名だが、他にも詩歌や書道など文化的な諸芸全般に秀でていた。
本名は松平治郷といい、松江藩の第7代藩主として藩政にあたり、財政の危機を立て直した名君でもある。その一方で、高価な茶道具を集めたので再び財政危機におちいるところだったらしい。おいおい。

ふーむ、そうすると、松江はお茶が盛んな町なのかな・・・、と考えたところでピーンときた。そういえば、僕の泊まった旅館の住所は松江市の西「茶」町じゃなかったっけ?リュックを開けて確認するとやはりその通り。そうだそうだ、こんな地名が残っているくらいだもの、やっぱり松江はお茶が盛んな土地柄だったのだ(と、決めつけてしまえ)。不昧公の話を京都で聞いていなかったなら、興雲閣でこういった発見をすることもなく、何気なく通り過ぎていただろう。
ちなみに、松江市には西茶町の他に東茶町もあるということが後の調べで判明。

興雲閣の次は、松江城の天守閣に入ってみた。
井戸があったりしゃちほこがあったり、装備したら呪われそうな具足一式があったり、優しい小姓のエピソードを知ったりした。一通り見て満足したところで、帰ることにした。堀川遊覧船や小泉八雲の記念館にも惹かれたけど、またの機会ということで。
松江から自分の部屋まで6時間ほどかかった・・・。

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この旅行を通して、好きな場所が増えた。しばらくは平凡な日常に戻らざるをえないけど、京都も山陰もまたいつか行きたいと思う。旅行前は「一度行ったらとりあえず満足感が得られるだろう」と思っていたのだが、考え方が少し変わった。全部の都道府県をまわっても、お気に入りの場所が増えるだけで、何度でも出かけたくなるに違いない。

【旅行3】出雲

2004年3月24日 旅行
鳥取駅から出雲市駅へ行き、下車。駅前のソバ屋で名物の出雲ソバを食べる。うまい。
そして一畑電鉄に乗り換え。

一畑電鉄はたったの2両編成。本数は少ないし、駅も無人駅が多いようで、典型的なローカル路線だ。
乗ってみると、窓から見える田んぼにほのぼのムードが漂う。川跡駅でもう1度乗り換え、のんびり・まったりと田舎の風景を楽しんでいると、出雲大社前駅はあっという間だ。

出雲大社の敷地内に入ると、細かい砂利が敷き詰められた道がまっすぐ続き、周りは、高い木がまばらに生えている。
ずんずんと進むと、拝殿がある。拝殿で丁寧にお祈りし(無宗教のくせに、というツッコミは却下)、神コ(←しめすへんに古)殿へ行く。1階の祈祷受付所はざっと覗いただけで、すぐに2階へ行った。2階は宝物殿になっていて、勾玉や古文書が残されているのだ。後醍醐天皇が建武の親政を目指して神に祈った文書など、興味深く見ることが出来た。

本殿や國造館も見て、続いて神楽殿へ移動。神楽殿には長さ13メートル・重さ5トンのしめ縄があり、これを見るのも楽しみだった。
しめ縄の近くへ行くと、みんなが硬貨を投げ上げている。しめ縄の、わらとわらの隙間に硬貨が刺さると、ごりやくがあるらしい。せっかくなので僕もやってみることにした。ちょっと恥ずかしかったけど。
何回か投げてみたが硬貨は跳ね返されて落ちてしまうし、知らない人の投げたコインが僕の頭にぶつかるしで散々だったが、しつこく投げてようやく成功。これで、これからの僕の人生は笑いが止まらないくらい何をやってもうまくいくはず・・・のわけないか。でも何かいいことありそう。

満足して、最後の目的地の松江へ向うことにする。

【旅行2】鳥取

2004年3月23日 旅行
京都で遊んだその日のうちに、鳥取へ移動。
夜8時ごろ鳥取駅へ到着し、ホテルへと歩きだすと、市内は既に閑散としている。たまに見かける人といえば、タバコをふかした茶髪のお兄ちゃんたちがたむろっているだけ。雰囲気悪い。

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翌朝(20日)、朝食を摂って、早速砂丘へ行った。市街地から意外と近いが歩くのはちょっと大変で、バスがいい。

砂丘はドデーンとそこにあった。
砂場のだだっぴろいものを想像していたが、それは間違いで、実際はかなり起伏がある。砂「丘」というくらいで、坂を登ったり降りたり、歩くには体力がいる。僕の場合、背負ったリュックが重過ぎたのと、普段から運動不足なのとで、すぐばてた。
何度か休みながら、砂丘をなんとか縦断し、波打ち際まで歩ききった。距離的には大したことないはずだけど、高低差がきつかった。
砂にはいろいろと文字が掘られた跡があった。「○○LOVEはぁと」というものから「妄想族」のようにわけわからんものまで、たくさん。僕は何も書かずに、しばらくたたずんで戻ることにした。

砂丘の出入り口まで戻ると、バスが来るまでかなり時間があった。そこで、砂丘会館へ入ってみた。砂丘会館とはレストランやお土産屋などがまとめて入っている建物だ。ここで梨ジュースを飲んでみたら・・・、めちゃくちゃうまい!なにげなく一口ふくんだら、おいしくて目をグワッと見開いてしまったくらい、うまい。しぼりたてで冷えていて甘くて、もう1杯注文しようかと思った。
これを読んでいる人、鳥取砂丘へ行ったら、絶対に砂丘会館の梨ジュースを飲むべし。特に、ちょっと疲れているくらいのときに飲むと最高。350円なり。

まだ時間があったので付近を歩いてみたら、砂丘会館の隣りに小屋を発見。ドアは開いていて、誰でも入れるようになっていた。
その中には、砂丘を美しく撮った写真や、砂丘の動植物の写真が飾られていた。また、壁のいっかくには砂丘の成り立ちや多鯰ヶ池(たねがいけ)について解説しているパネルがあった。砂丘へ来たからにはこれも見ないともったいない。偶然見つかったからいいけど、この小屋、もっと目立つようにしてほしい。

バスの時間になったので、バス停へ向い、駅へ行くことにした。次の目的地は出雲大社。

ところで・・・、鳥取砂丘には大きな看板があって、そこには「足あと残してゴミを残さず」と書かれている。うまいと思う。

【旅行1】京都

2004年3月22日 旅行
先週の旅行について、今日から何日間か連載(?)します。

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最初の目的地は京都だった。
駅前で友達と待ち合わせ、まずは食事に行った。メニューはうどん。うどんは関東より関西のがうまい。おいしくいただきました。

早速、前々から行きたかった三十三間堂(正式には蓮華王院)へ。
そこには黄金色の仏様が並んでいて、予想以上の美しさだった。やはり、カレンダで見るよりも実物のほうがいい(当たり前だ)。後白河法皇や彫り師たちの、仏教へ対する熱い想いが伝わってくる。三十三間堂はそんな空間だった。
修繕中の仏様もあって、全部を見られたわけではないけれど、大満足だった。

次に行ったところは清水寺。以下、後白河法皇の墓、耳塚、方広寺、明治維新の志士の墓、二年坂、ねねのみち、産寧坂、円山公園、京都タワー。
京都というと長いこと日本の中心地だったから、有名な建物や、歴史上の人物のお墓が多い。友達に解説してもらうたびに、「ああ、そういえば名前を聞いたことがあるなあ。」と感じてばかりだった。
旅行をする前に歴史をざっと復習しておけば、話がスムーズに出来たのに・・・。もっと勉強しておきたまえよ、僕。

歴史を感じただけでなく、「風流」の一端も感じることが出来た。陶器のお店や花燈篭の並ぶ道、すれ違う舞妓さん、さりげなく展示された伝統工芸品など・・・。歩きながらお茶の話をしたことが、のちに松江で大きな意味を持つことになる。

とにかく、京都を満喫した一日だった。

勉強不足のほかに、一つ残念だったのは、友達と話すときにちょっと緊張してしまったこと。もうちょっとリラックスして話したかったなあ。なんであんなにドキドキしたんだろう・・・。あんな態度をとったら、相手だって気を使ってしまうだろうに。悪いことをしたかも。

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次の旅行先、鳥取についてはまた明日。

ただいま

2004年3月21日 旅行
ただいま〜。
今日の夕方、無事、旅行から帰ってきました。

どんな旅行をしてきたか、この日記にきちんと書きたいと思うんだけど、今日はちょっと疲れているので、明日以降に詳しく書きます。
今日は旅先で出会った優しい人たちをまとめて書いておくだけにする(以下、出会った順)。
・東京駅の売店の店員さん。「あったかいお茶ください。」って言ったら、一本一本さわって、一番熱いのを選んでくれた。
・京都を案内してくれた友達。
・鳥取のホテルで、「朝御飯なら、こっちやでー。」って、こっちが何も言っていないのに食堂の位置を教えてくれたおっちゃん。たしかに分かりにくい場所にあって、教えてもらっていなかったら難儀をするところだったよ。
・砂丘で僕にコーヒーを勧めてきた子供。ことわっちゃったけど。
(番外)
・松江藩の小姓。目の不自由なお殿様に、自分の目を差し上げたい、と言ったそうな。お殿様は感激して泣いたというエピソードが残っている。


特に、京都を案内してくれた友達には本当にお世話になった。今日、アパートに戻ってきて最初にやったことと言えば、この友達にお礼のメールを送ったことだ。簡潔な文面になったけど、感謝の気持ちをどう伝えればいいのか、ちょっと悩んじゃったよ。

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