大阪その2 くいだおれ
遠くへ出かけるときは、なるべくその土地の方言も聞きたいと思う。
この大阪行きでは、大阪弁を聞きたいのはもちろん、日常会話が漫才のようにボケたりつっこんだりしているかどうかも聞きたかった。
新大阪からなんばの間は乗客がみな静かで、大阪弁はほとんど聞けなかった。くいだおれなら、僕の周りで食事をしている人たちが大阪弁で話すだろうと思って耳をそばだてると、聞こえてきたのは大阪弁ではなく、それどころか日本語ですらなく、韓国語だった・・・。韓国人かいっ。

くいだおれでは、すき焼きを食べた。お肉の甘みが卵と絡まって、おいしい!
うわー、味の国士無双やー。
あっという間に平らげた。

くいだおれのある通りは、5メートルに1軒の割合でタコ焼き屋がある。どのタコ焼き屋も行列が出来ていて、繁盛している。食いしん坊にとっては楽しい通りだが、タコにとっては地獄のようなところだ。
この近くには道頓堀がある。阪神タイガースが優勝するとファンが飛び込むらしいけれど、実際に見てみると危なそうだ。ここへ飛び込むのは怖い。

続く。

大阪その1

2007年1月14日 旅行
ただいま。
いやー、ほんまよかったで、大阪。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1月13日、土曜日。仕事がある日と同じ時間に起きて、駅へ。
東海道新幹線に乗ると、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!が聞こえた。なつかしい。

新大阪で御堂筋線に乗り換え、なんば駅で下車。
駅で乗り換えするときに思い出したことがある。それは、エスカレータの乗り方が東京と大阪とで違うということ。
東京では、エスカレータに乗るときは左寄りに立つ。歩いて上がる人のために右側を空ける。一方大阪は逆で、右寄りに立って左側を空ける。
なぜ東京と大阪でこのように違うのか気になる。また、ほかの地域ではどうなのかも気になるところだ。

最初の目的地は、くいだおれだった。大阪へ行くならくいだおれがお勧めと事前に聞いていたのだ。
この情報を僕に教えてくれたのは、大阪出身のOさん。Oさんはくいだおれのほか、「彼女と行くならUSJもいいですよ。」とか「大阪城なんかもええんですけど・・・、お城なんて興味ないですか?」と言っていた。
独りで行くので、USJは行かないことにする。大阪城のほうは、行く。お城にはものすごく興味あり。

大阪は人の歩くスピードが速く、とても快適だ。テンポよく歩いて、すぐにくいだおれに到着。時刻は午後1時頃。

続く。
さて。
長々と時間をかけて書いてきた九州旅行ですが、今日は写真を公開します。気に入った写真があったらご自由に使ってかまわないです。アドレスはこちら↓
http://photos.yahoo.co.jp/ph/yiasrookie/lst?.dir=/8c94&;

これにて九州旅行の話は終了。
ふー、2ヶ月もかけちゃったよ。

地獄巡り

2006年10月28日 旅行
8月24日、木曜。
ホテルの大食堂で朝食。とても広く、体育館くらいの広さがあった。バイキング形式でみんな好きなように動いたり話したりする。すごい騒ぎだ。
片付けをする、ホテルの職員も大忙し。小柄で痩せ型の職員が、苦もなさそうにたくさんのトレイを運んでいたのが印象的だった。見かけによらずパワフルだ。

チェックアウトし、観光バス乗り場に行く。国東半島に続き、ここでも観光バスのお世話になる。これに乗って地獄巡りをするのだ。
バスガイドさんが、「最初に海地獄に行きますが、バスを降りてから海地獄まで行く途中、土産物屋で何度も呼び止められます。断っても断っても声をかけられる・・・、これを売店地獄と言います。」なんて冗談を言っていた。面白い。

見て回った地獄は下記の通り。
海地獄:真っ青な池。火山の噴火で出来たもの。
山地獄:泥がボコンボコンいう・・・って、この説明じゃ意味不明だな。
かまど地獄:高温で湯気がシューシュー・・・って、これまた意味不明。
鬼山地獄:ワニがたくさん。
白池地獄:魚がたくさん・・・って、地獄の紹介文ちょっと手抜きしすぎだと思った人、挙手。
血の池地獄:いやー、なんだか疲れ気味で、さっきから横になりたい。
竜巻地獄:ということで、各自、地獄については下記のページの真ん中あたりの「地獄めぐり案内図」から概略が分かるので、そこを見て自習しておくように。以上!
って、なんたる省略だ・・・。
http://www.beppu-jigoku.com/

午後、大分空港から帰京。

九州旅行の話、もう少しだけ続く。

別府へ

2006年10月22日 旅行
観光バスは国東半島の見所を回ると、国東から大分駅へと向かう。途中、大分空港や別府で下車出来る。僕は別府で降りた。別府がこの旅行の最終目的地だった。

暑い中、国東半島で歩き回ったので、シャツが汗で濡れている。早く風呂に入りたい・・・と思いながら宿に到着。
フロントで名乗り、部屋へ連れて行ってもらうと、僕の部屋の周りは韓国人ばかりだった。韓国語が分かれば楽しいのかもしれないけれども、ちょっと異質な空間という印象を受けてしまった。
夕暮れ時、屋上のお風呂に入る。別府湾を一望しながらお風呂に入るのはとても気分がよかった。

夜、別府の町を散策した。夜といってもまだまだ暑く、また汗が噴き出してくる。
お土産屋で、同僚のためにお菓子を大量に買い込んだ。お土産屋の店員(もしかしたら店主?)が暇そうにしていて、「まあちょっと休んでいきなさい」と言ってくれた。
勧められるまま扇風機の前で椅子に座り、涼みながら少しおしゃべりした。

続く。

国東半島

2006年10月16日 旅行
国東半島
8月23日、水曜。宇佐駅前で定期観光バスに乗った。これは大分駅でも乗れるので、前日に大分駅の近くで泊まる手もあったわけだけど、まあいいや。

この日は平日だからか乗客はとても少なくて、僕を含めてたった5人だった。
60代くらいのご夫婦が1組。
50代くらいの男性が1人。この男性は僕と一緒に宇佐駅前で観光バスに乗った。
60代くらいの女性が1人。その人は足が悪く、歩いたり坂を上ったりするのに時間がかかってしまうそうで、自分のせいで観光バスの出発時間が遅れてはいけないと随分気を遣っていた。早め早めにバスに戻るようにしていた。

観光バスでは、以下の順序で回った。
初めに宇佐神宮。次に富貴寺。以下真木大堂、熊野磨崖仏、財前家墓地、両子寺。

この中では、富貴寺が一番印象に残っている。
まず、お坊さんのから阿弥陀と釈迦の違いを聞けた。指で輪を作っているのが阿弥陀で、そうでないのが釈迦なんだそうだ。
富貴寺にある阿弥陀如来像は重要文化財だけど如来像を囲んでいる建物は国宝なんて話も興味深かった。

富貴寺の近くで昼食。名物である蕎麦を食べた。店員に勧められるまま、蕎麦にゆずこしょうを入れてみたらとてもおいしかった。少しピリッとした、辛い味になる。僕はいつもは辛いものが苦手なのに、この蕎麦に限ってはもっと食べたい〜〜と思ってしまった。
画像は富貴寺の外観。

宇佐へ

2006年10月9日 旅行
お昼ごはんを満喫した後、また移動。バスで大分駅まで戻る。
この路線にはどんな名前のバス停があるんだろう、とワクワクしながら注目していると、日吉原(ひよしばる)とか久原(くばる)とかあった。九州では「原」と書いて「ばる」と読ませる地名が多いようだ。
そういえば、西南戦争で有名な田原坂(たばるざか)も九州だ。ほかにもないかと調べてみると、新田原(しんでんばる)なんて駅もある。
ふーむ、するってえと、もしかしたら加兄原(かあにばる)とか笛捨井原(ふぇすてぃばる)とかいう地名もあるかもしれない・・・なんてくだらないことを考えた。

大分駅に着き、日豊本線に乗る。
その電車では、うちの会社の英単語帳で勉強している女子校生を見かけた。その本は弊社で作ったものですよーと話しかけたくなったけれども、そんなふうに話かけたって相手も困るだけだろう。黙って見守るだけにした。

この移動中、大分弁が少し聞けた。「〜だから」は「〜け」と言うようだ。たとえば「俺の言うことを聞かないから」は「俺の言うこと聞かんけ」。
おもしろーい。

夕方、USAに到着。USAといってもUnited States of Americaではなく、宇佐(うさ)である。

佐賀関

2006年10月8日 旅行
佐賀関
8月22日、火曜日。
阿蘇を発ち、東へ。佐賀関(さがのせき)を目指した。

旅行をする前、ある同僚に「大分に行くなら佐賀関も行くといい」と言われていた。それを聞いたとき、えっ、佐賀県?と思ってしまったが、佐賀関は佐賀県ではなく大分県の東端にある。瀬戸内海に面していて、アジやサバがとれることで有名(と知ったふうな口を利くけど、僕はその同僚に聞くまで知らなかった)。

九州横断特急に乗っていると、途中、添乗員が乗客に飴玉を配りに来た。ちょっと嬉しい。飴はひんやりとしていておいしかった。
この路線は景色がきれいで、窓越しに何枚か撮影した。

大分で乗り換え、幸崎駅へ。ここからはまたバスで移動する。
駅前のバス停の時刻表によるとすぐに来るはずなのに、しばらく待ってもなかなかバスが来ない。
バスを待つのは僕のほか50代くらいの女性と、小学生くらいの女の子。50代の女性はいつもは佐賀関から遠く離れて生活している人で、この日帰省で戻ってきたところだという。大分駅で電車を降りてそこからバスを使うことが多いそうだけれど、今回は幸崎駅まで電車で来てみたそうだ。

バスが来るまでの間、その女性とたくさん話をした。関サバや関アジを食べるのならどの店がいいかという情報も聞けた。
あらかじめネットで調べておいた店について聞いてみると、そこは魚が小さいのに値段が高いからやめときなさいと言われた。別のお店「よしだ会館」を教えてもらい、そこに行くことに決定(よしだ会館も一応ネットでヒットしていた)。
地元の人の言うことには従おう。

バスは40分遅れで到着。バスでしばらく走ると海が見える。10時ごろは電車で山の中を走っていたのに、数時間後の今は海の近くだ・・・なんて思ってなんとなく楽しくなった。
今日の画像は佐賀関で撮った1枚。

よしだ会館で食べた関サバは身が引き締まっていておいしかった。
そういえば、高知でカツオを食べたときもまったく同じことを思った。おいしい魚は密度が濃い感じがする。

続く。
さてここで、お世話になった宿、蘇山郷について語ってみたい。いろいろなところへ出かけて、いろんな宿に泊まっているけれども、蘇山郷は自分が泊まった中で一番素敵な宿だった。

親切その1
スタッフは、僕の部屋にコーヒーの空き缶があるのを見て、「コーヒーは1階のロビーで無料で飲めます。」と教えてくれた。観察力と、気の利かせ方が素敵。

親切その2
そのロビーでコーヒーを飲みながら備え付けの新聞を読んでいると、スタッフがさりげなく入ってきてさりげなく部屋を明るくしてくれた。元々新聞を読むのに不自由ではない程度の明るさだったけれど、この気配りも素敵。

親切その3
バスの運転手と同じように、話好き。たとえば僕がお祭りから戻ってくると、戻ってきた時間帯からお祭りに行ったということが分かるのだろう、「お祭りどうでしたか?」と声をかけてくれた。
部屋に料理を運んでくれたスタッフも話好きで、リュックの横においてあった文庫本を目ざとく見つけ、そこから小説について話が弾んだりした。

親切その4
冷蔵庫に飲み物を入れて、翌朝取り出そうとしたらギンギンに冷えていた。つまり、冷蔵庫の温度設定がすごく低めだったのだ。夏の暑い日にこういう気配りはとても嬉しい。
今後、どこかに泊まることがあったらそのときは冷蔵庫の設定温度を勝手に低くしちゃおう。今まで冷蔵庫の温度まで気にしたことがなかった。蘇山郷のおかげで1つ賢くなった。

話をしたスタッフはみんな笑顔が素敵で、本当に最高だった。
部屋はきれいだし料理はおいしいしお風呂も気持ちいいし、言うことなし。

蘇山郷のアドレスはこちら↓
http://www.sozankyo.jp/

余談だけれど、高千穂で泊まった宿も蘇山郷でもテレビはベスト電器製だった。九州ではベスト電器の勢力が強いのかしらん?
阿蘇その5 阿蘇神社
登るときと同じく、またバスに乗って山を降り、阿蘇神社へ行ってみた。
阿蘇神社へ行くには阿蘇駅で電車に乗り、2つ隣の宮地駅で降りる。お宮のある土地だから宮地なのかな、と思った。
阿蘇神社では、飲むと歳をとらないと言われる水が飲める。2口だけそっと飲んでみた。うまい。

広い境内を歩いて、神社の裏手から外に向かって、なんとなく風景を撮影(画像参照)。どうってことのない写真と思う人も多いかもしれないけど、実は、大のお気に入りだったりする。夏の暑さをこの1枚の中に詰め込んだつもり。

阿蘇その4

2006年10月1日 旅行
阿蘇その4
火口を見物している人たちをちょっと見てみると、韓国からの観光客が多かった。みんなお揃いの赤いTシャツを着ていて、背中側にハングルで何か書いてある。ほとんどが小学生くらいで、数人、大人が混ざっている。
そのうちの1人の、ある女の子が日本の歌を口ずさんでいた。曲名は分からないけれど、「かなーうなーらばー♪」とハッキリ聞こえた。韓国で日本の歌が流行っているんだろうか?

火口周辺を存分に歩き回った後、またロープウェイで中腹まで降りた。
ロープウェイで降りるとき、上ってくるロープウェイとすれ違った。上ってくるほうに乗っていた男の子が元気よくこちらに手を振るので、僕も童心に帰って、負けずに思い切り手を振り返してみた。楽しいなー。
すれ違って少し時間がたち、上るロープウェイが充分に離れてからふと我に返ると、同じロープウェイに乗った女性が僕のほうを見て笑いをこらえている・・・。
んもう、別にいいじゃないか、子供っぽい仕草をしたって。

ロープウェイを降りたところで昼食。この日の昼食のメニューは肥後牛のカレーライスにしてみた。ほかのカレーとの違いはちょっと分からなかったけれど、おいしかった。
少し山を歩いて下り、火山博物館を見学。

今日の画像は、草千里ヶ浜でたまたま見られた飛行機雲。まるで空に切れ目を入れるかのようだ。
阿蘇その3 火口へ
8月21日、月曜。台風は北のほうへ抜けて、この日以降暑い日が続く。

この日は阿蘇山の山頂へ行ってみた。
バスでゆっくりと阿蘇の中腹を上がっていく。阿蘇山のふもとや中腹の辺りは草千里ヶ浜と呼ばれる。文字通り草原が広がり、あたりに馬や牛が放し飼いされている。
自分が普段生活しているところと全然違い、ああ、こういうところも落ち着くな・・・と思った。
バスの乗客はみな阿蘇駅の近くで乗った人ばかりで、それ以降のバス停で乗ってくる人は全然いない。バスはときどき時間調整で止まり、そのたびに運転手さんは「○時○分に出ますので、それまで自由に外に出ていいですよ。あっ、写真撮ってあげましょうか?このあたりも景色がいいです。」なんて乗客に言ってくれた。
大観峰へ行くときの運転手さんも、阿蘇山へ行くバスの運転手さんも、話好きで優しかった。素晴らしきかな産交バス。

阿蘇山西駅というバス停でバスを降り、ロープウェイに乗り換え。いよいよ火口へ。
わくわくしながらロープウェイを降りると、いきなり硫黄のにおいがした。おおお、さすが火山。
火山活動が活発な日は、火口の周りは立ち入り禁止になるらしいけれど、この日は無事、見てまわることが出来た。

火口のあたりは砂千里ヶ浜と呼ばれる。火山灰の影響でほとんど植物が育たず、砂や石ころばかりだ。
火口は見てのとおり、きれいなエメラルドグリーン。これは、二酸化炭素や二酸化硫黄など、火山ガスの成分が水に溶け込んでいるため。
そのきれいなエメラルドグリーンの中から噴煙が立ちのぼる。

続く。

阿蘇その2

2006年9月24日 旅行
阿蘇その2
大観峰から再度バスに乗り、阿蘇の中心部へ戻る。偶然にも帰りのバスの運転手は行きのバスの運転手と同じ人だった。バスに乗った瞬間、お互い顔を見合わせてニッコリ。

予約を入れておいた宿、蘇山郷でちょっと休憩。コーヒーを飲んだりお風呂に入ったりした。その後、夜の町へと繰り出す。8月19日と20日、阿蘇では「火の山まつり」というお祭りが行われていたので見に行ってみた。

火の山まつりの会場は蘇山郷から徒歩数分。近くの市立体育館がお祭りのメイン会場だった。そこへ行く手前に屋台がたくさんあった。浴衣を着ている女性がたくさんいて、喧騒とでもいうのか騒がしい雰囲気で・・・、こういう雰囲気は大好きだ。

メイン会場へ行くと、ケロッケという芸人さんが舞台の上で歌を歌っていた。ケロッケはコロッケの姉なんだそうだ。
ケロッケの歌やトークの後は、火の山音頭・阿蘇音頭に合わせてみんな踊った。僕は振り付けが分からないので踊りを遠巻きに眺めるだけ。仲間に入れてほしいな・・・という気持ちが芽生え、少し寂しくなった。

この日は腰の具合がよくて、薬を服用しなかった。ということでビールを久しぶりに堪能した。本当はまだ飲まないほうがよかったのかもしれないけれど、お祭りの雰囲気の中でお酒を飲まないのはつらすぎる。

最後に花火が凄い勢いで上がり、お祭り終了。
今日の画像は、お祭りで男の子が連れていたカブトムシのおもちゃ。かわゆいっ!

あっ、今、気がついた。この子、着ているものもカブトムシの柄だ!服と持っているものと、お揃いだったんだね。
阿蘇その1
高千穂を満喫した翌日、8月20日。
(ここで唐突に独り言。
旅行を終えてから1ヶ月もたつのに、まだ全然書けてないよ。うっわー、少しペースあげていかなきゃ。)

旅行の3日目。この日は阿蘇へ移動した。
高千穂からはまずバスで高森へ移動し、高森から南阿蘇鉄道で立野へ。立野からJRで阿蘇駅へという流れ。阿蘇駅の少し北にある内牧温泉のあたりが阿蘇市の中心地で、ここが阿蘇を観光する拠点になる。

このあたりの位置関係は時計の文字盤にたとえると分かりやすい。
阿蘇山を文字盤の中心とすると、阿蘇山の真南に位置する、6の文字のあたりが高森。立野は9の字のあたり。そして12のあたりが阿蘇駅。
車だったら高森から阿蘇駅まで縦断出来るけれど、電車では6から12まで時計回りに半周する。

南阿蘇鉄道はのどかな田舎道という印象。周りの景色を見て、故郷を思い出した。
この路線はトロッコが走っている。でも僕はタイミングが合わなくて、普通の車両に乗った。

阿蘇駅で降りて、まずは大観峰へ行ってみることにした。ここは12時の方向の、さらに上にある。阿蘇山の火口も魅力的だけれど、先に阿蘇山を外側から見てみる作戦。
阿蘇駅前でバスに乗ると乗客は僕一人。運転手さんに「お客さん、どこまで?」と聞かれたので「ダイカンホウです。」と答えたら、「ああ、ダイカンボウね。」とさりげなく訂正された。

大観峰に最も近いバス停で下車し、てくてく歩く。僕の嫌いな、エンジン音のうるさいバイクが我が物顔でブイブイ走っていた。
大観峰では眼下にきれいな草原が見えた(画像参照)。

大観峰の食堂で昼食。この日は甲子園の決勝戦が行われていた。食堂のテレビで、結果的に引き分けになる投手戦を見ながら「だご汁」を食した。

続く。

高千穂その1

2006年9月11日 旅行
高千穂その1
高千穂は観光用のバスが定期的に走っていて、それに乗ると主な見所を案内してくれる。
8月19日の朝、早速バスセンターへ行くと、台風の影響で観光バスは休みということだった。
うーむ、バスが出ないのか。どうしようかな・・・。徒歩で回るには広すぎるし。
しかたなく、観光タクシィに乗ることにした。これは半日くらいタクシィを借り切って見所を回るもの。バスと比べてお値段が高めだ。

高千穂は神話の里と言われ、天照大神や神武天皇にまつわる神話など、古代日本にまつわる話が数多く残っている。
観光タクシィに乗って回ったのは、天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、天安河原(あまのやすかわら)、高天原遙拝所(たかまがはらようはいじょ)、四皇子峰(しおうじがみね)、高千穂峡、国見ヶ丘、そして高千穂神社。
画像は天岩戸神社へ行く途中の橋。台風の直後で水量が多く、流れが荒れている。

高千穂峡では英国紳士X氏を見かけた。ここでも会うなんて奇遇ですなー、と思ったけれど何も言えずじまい。
高千穂峡で日向夏(柑橘類の一種ですな)のソフトクリームを食べた。べったりした甘さではなくスッキリした甘さで、うまい。お勧めの一品だ。

観光タクシィの運転手Kさんは名所を案内しつつ、高千穂の産業や方言について語ったり、さりげなく冗談を言ったりした。
岩戸小学校の近くを通るときに、「天照大神も子供のときにここにかよったんです。」なんて大真面目な口調で言うのが面白かった。

午後1時頃、一通り見終わった。Kさんにお礼を言って、単独行動を開始。
高千穂温泉でのんびりとお湯につかったり、荒立神社に寄ったりして夜を待つ。夜は高千穂神社で夜神楽を見ることに決めていた。

続く。

高千穂へ

2006年9月7日 旅行
延岡のバス乗り場でバスに乗り、高千穂へ。
僕が乗ったバスには外国人の老夫婦も乗っていた。夫妻とも白人で、旦那様のほうはまるで英国紳士のような雰囲気だった。旦那様を仮にX氏としておこう。

バス乗り場で調べたところによると、延岡から高千穂までのバス代は1710円。
窓の外の景色を眺めたりしながらバスの車内に設置された電光運賃表に注目していると、バス代が1710円になった。
むむっ、次が降りるところなのだろうか、でもまだ高千穂ってアナウンスされていないし、もう少し先まで乗れるんじゃないかしらん、運転手さんに聞いてみようか・・・と思った瞬間、X氏が座席から立ち上がって運転手さんに何やら話しかけた。多分、僕と同じ疑問を持ったのだろう。

運転手さんは「もう少し先!」と答えていたが、X氏には通じなかったようで、X氏はすごすごと座席に戻ってきた。そして両方の手のひらを上に向けて肩をすくめた。
僕がX氏を助けてあげようか・・・と思ったけれども、いや待て、英語でどう説明すればいいのか分からない。「電光運賃表に書かれた料金でもう少し先まで行けるみたいです。」って、英語でどう言えばいい?

僕が降りるバス停で、X氏も降ろす?でも、X氏はどこに泊まるつもりなんだろう?僕と同じバス停で降ろしたとして、でもその先どうする?
降りたバス停でX氏をほったらかしにするのも心苦しいし。

そのほかいろいろ可能性やら言い方やら考えるうちに何も言えなくなってしまった。もうちょっと英語を勉強しておけば人助けが出来たかもしれない。

8月18日の夜、高千穂到着。

延岡

2006年8月30日 旅行
宮崎市から高千穂まで行くには、まず日豊本線で延岡まで行き、そして延岡でバスに乗るというルート。延岡から高千穂へのバスは本数がとても少ない。
台風の影響で時間通りに走らない電車に乗り、延岡で降りると、バスの時間まで1時間以上もあった。バスの乗り場からあまり離れないように散歩すると喫茶店の看板があったので、入ってみた。

入ってまず目についたのは大きな木のテーブル。そのテーブルの周りで40代か50代くらいの女性ばかり5人が談笑している。いや、よく見ると子供もうろうろしている。
奥にももう1つ、木のテーブルがあるようだが、それは何か作業の途中なのだろうか、雑然としている。

「あれ、お客さんだ。珍しい。」と言われて少し不安になるが、みんなニコニコしている。そして1人が立ち上がり、奥のテーブルを片付けてくれた。このかたがここのご主人なんだろうかと思ったら大ハズレで、話をするうちに常連客の1人だと分かった。えーっ、お客さんが片付け!?
その喫茶店はとにかく変わっていて、
・客は常連の人たちばかりで、僕のような新規のお客さんはまず、いない。
・メニューはコーヒーのみ。
・「よくここが喫茶店だって分かったね。」と常連客が言う(それに対して僕は「外に看板ありましたから。」と答えた)。

ここの人たちはなぜか僕に対して好奇心のスイッチが入ったようで、たくさん話をして、そして熱烈なおもてなしを受けた。
コーヒー以外に、クッキィ、お茶、そして天ぷらをいただいた。天ぷらというと衣をつけて油で加熱したものを想像するけれども、延岡で天ぷらというと、さつまあげを平たくしたようなものを指すそうだ。別名「あざみ」とも言うらしい。
そのほか、人に言っても信じてもらえなさそうなご厚意もいただいた。

常連のみなさんと楽しくお話をすると、あっという間にバスの時間。別れを惜しみつつバス乗り場へ戻った。

宮崎

2006年8月29日 旅行
宮崎
8月18日、金曜日。朝、いつもよりも早く起きて羽田空港へと急ぐ。
この日、九州には台風が近づいていた。空港では「大分行きは欠航」などというアナウンスが流れていて冷やりとさせられたけれども、僕の乗る宮崎行きは無事に飛んだ。

宮崎空港で降り立つと、風が少しじっとりとしていて、そして生ぬるい感じがした。
空港に隣接する宮崎空港駅へ行くと、台風の影響で大幅に電車が遅れていた。

この日は高千穂まで行く予定だった。しかし、高千穂へ向かう前に、まずは宮崎神宮と宮崎県総合博物館を見学することに決めていた。宮崎神宮と博物館はどちらも宮崎市にあり、隣接している。

宮崎県総合博物館は、自然史・歴史・民俗の3つのコーナーから成る。自然史のコーナーでチョウの展示が充実していたのが印象的だった。
夏休み中だからか、子供がたくさんいた。ある子供が顕微鏡のような装置を覗いて、何やらボタンをカチャカチャ押している。何の装置だろう・・・と思って近づくと、その子は「分からん!」と叫んでどこかへ行ってしまった。
その装置は植物細胞から抽出されたナントカカントカをスライドにして、それを切り替えながら見られるもので・・・、うん、僕も分からん!

宮崎神宮は初代天皇の神武天皇をまつっている。境内を少しうろつき、辞去。

(画像は宮崎神宮)

天童

2006年5月14日 旅行 コメント (2)
立石寺を見た後、天童へ移動。立石寺と天童はとても近い。
天童で将棋資料館を見学した。将棋の駒の作り方や書体の違いを丁寧に解説している。
見たことのない書体もあって、勉強になった。

その後、市内を散歩して将棋に関係あるものを数枚撮影し、帰京。
旅行の準備不足により徹夜することになってしまい、観察力不足になってしまった。天童では日記に書きたくなるようなネタを拾えなかった。しっかり周りを見渡せば、面白いこと・ためになること・優しい気持ちにさせてくれるものなどなど、僕が好むようなものがもっとあったはず。

ということで、山形旅行編は尻すぼみで終了。次にどこかに出かけるときはもう少ししっかり準備しよう。

誤算

2006年5月7日 旅行
G-darkさんからバトンが来てる。嬉しいな♪
無条件バトンのおこたえ、ちょっと待っててくださいね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

天童に着いて、さて、どこに泊まろうかと考える。目についた安そうなビジネスホテルならば大抵は予約無しでも泊まれる・・・と思い1軒目に入ると、「あいにく予約がいっぱいで。」と断られた。続いて3、4軒回ってみたけれど、どこもいっぱいで全部断られた。あっれー、なんでこんなに混んでいるんだろう?
しかたがないので一旦山形市に戻ることにした。山形市ならホテルもたくさんあるだろう。
山形市に戻ってホテルを何軒かあたったけれど、やはりどこもいっぱい。う・・・む・・・、しかたない、徹夜するか。でもどこで、何をして、一晩過ごす?

会社の同僚などは、飲み会が長引いて終電を逃したときはサウナに行ったりしているようだけれど、僕はサウナはあまり好きではない。
なんとなく、24時間営業の漫画喫茶に入ってみた。そこにはインターネットの端末もあり、ホテルの予約状況も調べられる。調べてみると、5月の3日と4日はどこのホテルもいっぱいだった。宿泊施設の範囲を山形県全域に広げてみても、すべていっぱい。
ここでようやく、自分のおかれている状況に気付いた。これってもしかして、ものすごく大ピンチ?

1晩徹夜をするくらいならまあいいけれども、翌日も泊まるところがないのだ。どうやらゴールデンウィークの人出を過少に見ていたようだ。
まずい。まずすぎる。2晩も徹夜をするのは避けたい。

考えた結果、この1晩は徹夜をして、朝になったら立石寺と天童の将棋資料館を見学することにした。昼過ぎくらいには見終わるだろう。そしたら東京へ戻ろう。2泊3日の予定が0泊2日になるけれども、しかたがない。この経験は次に生かそう。

続く。

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