何回かに分けて言葉に関するよもやま話をしてきたけれど、ここに書かれていることがなんだか納得いかないなあと思う人もいるかもしれない。そう、この言葉に関する文章の数々には致命的な欠点がある。
今までの文章では一番重要なことに触れていないのだ。一番重要なこと、それは「正しい日本語とは何か」ということ。そこを定義しないと本当は話を進められない。

うわー、出た。正しい日本語。正しい日本語とは何なのか。本来なら真っ先にそれを書くべきだったのに、あえてここまで書かなかったということは・・・、つまり難しいからだ。正しい日本語を定義するのは無理だよなあと思う。人によって定義の仕方がまちまちになり議論百出し、それはまとめきれなくなる。
正しい日本語とは何か、学生のときによく考えたけれど、結局は分からずじまい。

でも、それでこの話を終わらせたらあまりにもひどいので、言葉に対してこう接するのがいいのではないかということだけ、自分なりの考えをきちんと書いておこう。
結論から言うと、僕は言葉については保守気味なのが一番いいと思う。時代の流れに合わせて新しい言い方をすぐに取り入れるのではなく、かといってガチガチの保守派でもない、やや保守。この姿勢について、正しいという言い方はもちろん出来ないけれど、自分はそれを目指すことにした。

言葉は他の人と意志疎通をするための道具だ。この、他の人というのは自分の周りの人だけをいうのではない。生まれた時代が違う人たちのことも含めて、他の人だ。過去の人の思想や文化を知るのは主に言葉によってであるし、また、同様に自分たちのことを未来の人に残すのも言葉。いずれは映像や物質で現代を未来に伝えるようになるのかもしれないが、それでも言葉は無くならない。言葉を変えたら物事が正確に伝わらなくなるから良くない、だからむやみに変えてはいけない。考えてみると、言葉以外でも他の人と共有するものを使うときはそれを維持する義務が生じる。
新しい言葉が生まれたら、その表現の長所をよく吟味して、よければ採用すればいい。



いつになく真面目に語ってしまった。他の考え方も知りたいので、[コメントする]をクリックして何か書いてくれると嬉しいんだけどなあ・・・。

コメント

G−dark
G−dark
2006年1月21日14:23

 まむさん、こんにちは。
 コメントさせていただきます。
 「正しい日本語」・・・難しいテーマですね。正しい英語というものもないように、わたしは正しい日本語もないと思います。標準語がありますけれど、それはあくまで基本というスタイルですから、正しい日本語であるとはされていない。日本全国全ての方が標準語を話しているわけではなく、もし標準語が正しい日本語だとすると標準語を話していない方は正しい日本語を話していないということになってしまう・・・。
 しかしながら、誰もが自分の好きなように話したり書いたりしていると相手に伝わらなくなってしまう。それでは言葉を使うそもそもの意味がなくなってしまいます。けれど言葉というものは眼に見えたり触れられる形を持たず、個々人のイメージに頼る他がないような・・・すみません答えが出ませんでした。長々と書いてしまい申し訳ありません。

まむ
まむ
2006年1月21日21:19

G-darkさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

「正しい日本語」について定義することは難しく、すべての人が納得するものはやっぱり出てきません。しかし、意識しないでいると言葉はどんどん変化していってしまうわけで、極論するとやがては言葉の機能が失われることになりそう・・・、ということで、今回の文章はささやかな一石を投じたつもりです。

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