「世に棲む日日」のことを書きたいと思う。

「世に棲む日日」全4巻を読んでいる途中である、ということは以前すでにのべた。先ほどすべて読み終わり、今、机の上に4冊とも積み上げられている。

幕末の長州藩は舞台が整い、かつ、役者が揃っていた感がある。
このころの長州藩は幕府や諸外国を相手に綱渡りのような外交をせねばならなかった。それをことごとく成功させたのはひとえに役者すなわち松下村塾系の長州藩士の活躍による。

清廉なる思想家の吉田寅次郎(松陰)、類まれなる智略の才とカリスマ性を兼ね備えた高杉晋作。
長州藩の迷走に翻弄されながらも獅子奮迅の働きをする井上聞多(馨)、慎重にことを為す老獪な山県狂介(有朋)、そして、本書の中では行方不明でまったくいいところのない桂小五郎(木戸孝允)。
このうちのたれもが能力を存分に発揮し長州藩をみちびいてゆく。ひいては維新政府をみちびくことになるのだが、本書の内容は晋作の死までである。

司馬遼太郎は、幕末という激動の時代を流麗な筆致でえがいている。しかし「世に棲む日日」は単なる歴史小説にとどまらず、思想と行動について深く考えさせる内容にもなっている。
歴史を動かすのはときとして思想と行動である、ということを考えずにはいられなかった。

この文章は司馬遼太郎の文体を模倣しているつもりである。このことは本筋とは関係がない。余談であった。

(うわー、下手な真似だ。普通に書いたほうが良かったか・・・?)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索