出雲大社から、松江へ引き返すことにする(鳥取から出雲市へ行く途中、松江を通過している)。
今度は一畑電鉄で出雲大社前駅から松江しんじ湖温泉駅へ向かうルートをとる。一畑電鉄は宍道湖の北側を通り、JRの松江―出雲市間は宍道湖の南側を通っているので、このルートで宍道湖の景色を南北両側から楽しむことが出来る。
松江市に着いたのは夕方の4時半ごろ。すぐに旅館で休むのも味気ないと思い、市内を散歩することにした。
まず目についたのは市バス。赤い車体で、ちょっとレトロなムードをかもし出していてお洒落だ。後で調べたら市バスに種類があり、その中の「ぐるっと松江レイクライン」というバスだった。
ちょっと歩くと島根県庁前で銅像を見つけた。日本のスポーツの発展に貢献した岸清一の像だ。渋谷に岸記念体育館があるけど、あの人は松江の出身だったのか。ふむふむ。
この日は温泉にドップリとつかり、名産のシジミを食べ、早めに就寝。
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翌朝、松江城へ行く。江戸幕府が成立した頃、堀尾吉晴が築いた城だ。
松江城の敷地内を歩いていると、白い洋風の建物があったので立ち寄ってみた。建物の隣には立看板があり、その建物の名前が興雲閣であるということと、山陰に天皇をお招きするために、明治時代に建設されたということが書かれていた。現在は松江郷土館として、松江に関する、古くから伝わる資料が展示されている。
中に入って展示物を興味深く見ていると、一つ気付いた。あれ・・・、不昧公(ふまいこう)の肖像画だ。不昧公の話は京都で初めて聞いた。その人とこんなに早く再会(?)するとは。
不昧公とは、不昧流茶道を大成した茶人である。茶道で有名だが、他にも詩歌や書道など文化的な諸芸全般に秀でていた。
本名は松平治郷といい、松江藩の第7代藩主として藩政にあたり、財政の危機を立て直した名君でもある。その一方で、高価な茶道具を集めたので再び財政危機におちいるところだったらしい。おいおい。
ふーむ、そうすると、松江はお茶が盛んな町なのかな・・・、と考えたところでピーンときた。そういえば、僕の泊まった旅館の住所は松江市の西「茶」町じゃなかったっけ?リュックを開けて確認するとやはりその通り。そうだそうだ、こんな地名が残っているくらいだもの、やっぱり松江はお茶が盛んな土地柄だったのだ(と、決めつけてしまえ)。不昧公の話を京都で聞いていなかったなら、興雲閣でこういった発見をすることもなく、何気なく通り過ぎていただろう。
ちなみに、松江市には西茶町の他に東茶町もあるということが後の調べで判明。
興雲閣の次は、松江城の天守閣に入ってみた。
井戸があったりしゃちほこがあったり、装備したら呪われそうな具足一式があったり、優しい小姓のエピソードを知ったりした。一通り見て満足したところで、帰ることにした。堀川遊覧船や小泉八雲の記念館にも惹かれたけど、またの機会ということで。
松江から自分の部屋まで6時間ほどかかった・・・。
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この旅行を通して、好きな場所が増えた。しばらくは平凡な日常に戻らざるをえないけど、京都も山陰もまたいつか行きたいと思う。旅行前は「一度行ったらとりあえず満足感が得られるだろう」と思っていたのだが、考え方が少し変わった。全部の都道府県をまわっても、お気に入りの場所が増えるだけで、何度でも出かけたくなるに違いない。
今度は一畑電鉄で出雲大社前駅から松江しんじ湖温泉駅へ向かうルートをとる。一畑電鉄は宍道湖の北側を通り、JRの松江―出雲市間は宍道湖の南側を通っているので、このルートで宍道湖の景色を南北両側から楽しむことが出来る。
松江市に着いたのは夕方の4時半ごろ。すぐに旅館で休むのも味気ないと思い、市内を散歩することにした。
まず目についたのは市バス。赤い車体で、ちょっとレトロなムードをかもし出していてお洒落だ。後で調べたら市バスに種類があり、その中の「ぐるっと松江レイクライン」というバスだった。
ちょっと歩くと島根県庁前で銅像を見つけた。日本のスポーツの発展に貢献した岸清一の像だ。渋谷に岸記念体育館があるけど、あの人は松江の出身だったのか。ふむふむ。
この日は温泉にドップリとつかり、名産のシジミを食べ、早めに就寝。
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翌朝、松江城へ行く。江戸幕府が成立した頃、堀尾吉晴が築いた城だ。
松江城の敷地内を歩いていると、白い洋風の建物があったので立ち寄ってみた。建物の隣には立看板があり、その建物の名前が興雲閣であるということと、山陰に天皇をお招きするために、明治時代に建設されたということが書かれていた。現在は松江郷土館として、松江に関する、古くから伝わる資料が展示されている。
中に入って展示物を興味深く見ていると、一つ気付いた。あれ・・・、不昧公(ふまいこう)の肖像画だ。不昧公の話は京都で初めて聞いた。その人とこんなに早く再会(?)するとは。
不昧公とは、不昧流茶道を大成した茶人である。茶道で有名だが、他にも詩歌や書道など文化的な諸芸全般に秀でていた。
本名は松平治郷といい、松江藩の第7代藩主として藩政にあたり、財政の危機を立て直した名君でもある。その一方で、高価な茶道具を集めたので再び財政危機におちいるところだったらしい。おいおい。
ふーむ、そうすると、松江はお茶が盛んな町なのかな・・・、と考えたところでピーンときた。そういえば、僕の泊まった旅館の住所は松江市の西「茶」町じゃなかったっけ?リュックを開けて確認するとやはりその通り。そうだそうだ、こんな地名が残っているくらいだもの、やっぱり松江はお茶が盛んな土地柄だったのだ(と、決めつけてしまえ)。不昧公の話を京都で聞いていなかったなら、興雲閣でこういった発見をすることもなく、何気なく通り過ぎていただろう。
ちなみに、松江市には西茶町の他に東茶町もあるということが後の調べで判明。
興雲閣の次は、松江城の天守閣に入ってみた。
井戸があったりしゃちほこがあったり、装備したら呪われそうな具足一式があったり、優しい小姓のエピソードを知ったりした。一通り見て満足したところで、帰ることにした。堀川遊覧船や小泉八雲の記念館にも惹かれたけど、またの機会ということで。
松江から自分の部屋まで6時間ほどかかった・・・。
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この旅行を通して、好きな場所が増えた。しばらくは平凡な日常に戻らざるをえないけど、京都も山陰もまたいつか行きたいと思う。旅行前は「一度行ったらとりあえず満足感が得られるだろう」と思っていたのだが、考え方が少し変わった。全部の都道府県をまわっても、お気に入りの場所が増えるだけで、何度でも出かけたくなるに違いない。
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